朝鮮通信使、友好の書簡 福山市阿部家子孫から5点購入
▽10日から公開「深いつながり示す」
福山市は9日、福山藩3代藩主で江戸幕府の要職を務めた阿部正右(1724~69年)と朝鮮国との間で交わされた漢文の文書5点を、東京に住む阿部家の子孫から購入したことを明らかにした。江戸幕府外交の貴重な史料で、市は10日から同市霞町のまなびの館ローズコムで公開する。
書簡は朝鮮通信使が仲立ちし、通信使の計12回の来日のうち、11回目の1763~64年に交わされた5点。うち3点が朝鮮通信使側の文書だった。
差出人は朝鮮国の外務次官に当たる「禮曹(れいそう)参判(さんぱん)」。日本との友好関係の継続を願う書簡1点と、トラ皮やヒョウ皮、ニンジンなど進物の目録2点を、当時、京都所司代だった正右にあてた。
これに対し、正右は金粉や金箔(きんぱく)をあしらった親書と、「白銀壱百枚」などと記した進物の目録を返している。
東京国立博物館などによると、江戸幕府と朝鮮国との外交文書で現存が確認されているのは、将軍あての国書が数点、老中や所司代あての書簡などが数十点にとどまるという。
朝鮮通信使は、福禅寺対潮楼(たいちょうろう)(福山市鞆町)からの眺望を「日東第一形勝」と称賛するなど福山藩とも深い親交があった。
朝鮮通信使に詳しい京都造形芸術大の仲尾宏客員教授は「間違いなく一級品の史料。進物からも福山藩とのつながりの強さがうかがえる」と話している。
<中国新聞>
福山市は9日、福山藩3代藩主で江戸幕府の要職を務めた阿部正右(1724~69年)と朝鮮国との間で交わされた漢文の文書5点を、東京に住む阿部家の子孫から購入したことを明らかにした。江戸幕府外交の貴重な史料で、市は10日から同市霞町のまなびの館ローズコムで公開する。
書簡は朝鮮通信使が仲立ちし、通信使の計12回の来日のうち、11回目の1763~64年に交わされた5点。うち3点が朝鮮通信使側の文書だった。
差出人は朝鮮国の外務次官に当たる「禮曹(れいそう)参判(さんぱん)」。日本との友好関係の継続を願う書簡1点と、トラ皮やヒョウ皮、ニンジンなど進物の目録2点を、当時、京都所司代だった正右にあてた。
これに対し、正右は金粉や金箔(きんぱく)をあしらった親書と、「白銀壱百枚」などと記した進物の目録を返している。
東京国立博物館などによると、江戸幕府と朝鮮国との外交文書で現存が確認されているのは、将軍あての国書が数点、老中や所司代あての書簡などが数十点にとどまるという。
朝鮮通信使は、福禅寺対潮楼(たいちょうろう)(福山市鞆町)からの眺望を「日東第一形勝」と称賛するなど福山藩とも深い親交があった。
朝鮮通信使に詳しい京都造形芸術大の仲尾宏客員教授は「間違いなく一級品の史料。進物からも福山藩とのつながりの強さがうかがえる」と話している。
<中国新聞>