長井長義は阿波藩のスパイ?/海援隊の疑惑 | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

長井長義は阿波藩のスパイ?/海援隊の疑惑

竜馬と鞆のつながり学ぶ
2008年11月16日(日)10:00

(中国新聞)http://news.goo.ne.jp/article/chugoku/region/Tn200811160078.html?C=S
 坂本竜馬をモデルにしたNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送決定を受け、福山市鞆町、市鞆の浦歴史民俗資料館で15日、市内の観光ガイドを対象に、竜馬と鞆のつながりを学ぶ研修会があった。

 幕末志士の研究家である徳島大の渋谷雅之名誉教授が講師。ボランティアスタッフ約50人が参加した。渋谷教授は、江戸末期に福山市沖で竜馬率いる海援隊の船が紀州藩の船と衝突、沈没したいろは丸事件を解説。徳島大薬学部の創始者・長井長義が日記に、当時の概要を詳細に記していた理由を「長井は阿波藩のスパイで、報告書を書く前に日記としてまとめていた」などと説明した。


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長井長義(1845~1929)
阿波藩(徳島県)の出身で、日本薬学の祖といわれる人物です。
慶応2年、22歳の頃、藩命により科学を学ぶため長崎へ留学しました。
当時写真には多種の薬品を使用するため、写真師・上野彦馬宅に寄寓します。
土佐藩士の井上俊三も彦馬に弟子入りしており、長井とは兄弟弟子となります。
井上は龍馬の有名な立ち姿の写真を撮った人物で、
土佐藩の情報員も兼ねていたと考えられます。
長井は、井上から様々な情報を教えてもらい、日記に書き残しています。
その中から、
慶応3年5月7日(海援隊について)と、
慶応3年5月22日(いろは丸事件について)の日記がある。




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