鞆(とも)の祇園さん
「鞆の地は山水秀霊の地…
…備後の東南端、海に突出せる半島形の一隅に位し…」
『沼名前神社由来記<明治45年4月15日発行>』は
序章に編者の言葉で鞆の地についての説明から始められている
それによると鞆は景色が美しく霊験があり、地の利もある…と
また沼名前神社は「ぬなさき」ではなく、
『奴奈久萬(ぬなくま)』が正式の呼び方
また鞆という地名の由来、そしてこの地に『沼名前神社』が祀られている由来も、
神功皇后の熊襲遠征(仲哀天皇2年)にまつわる伝説に起因する
沼名前神社の境内に鎮座している渡守(わたす)神社が、
実は沼名前神社の前身であり、
神功皇后により「綿津見命」が祀られ、
海の航海安全が祈願されたという事が記されている
坂を登り、入り口の右手に『森下仁丹』の創業者である森下博翁の胸像があり、
出所としても知られており、更に長い階段を上り詰めた正面に社殿がある
自然の山を背景に収まっており、風光明媚な景勝地を一望できる広い境内には数々の神社があり、
数多くの神々が祀られています
お弓神事・お手火神事は有名で、市の無形文化財にも指定されており、
格式のある能舞台始めいくつかの重要文化財もあり歴史を感じる
また神社の統廃合の経緯から、「須佐之男命」を祀る「祇園宮」も一緒に祀られており、
現在も祇園さんとして親しまれているそうです
沼名前神社(鞆祇園宮)
所在地/広島県福山市鞆町後地1225
営業時間/8:00~16:00

【写真/焼失前の「沼名前神社」】
当時は檜材・檜皮葺・箱棟付という
格調のある佇まいであったことが偲ばれる
…備後の東南端、海に突出せる半島形の一隅に位し…」
『沼名前神社由来記<明治45年4月15日発行>』は
序章に編者の言葉で鞆の地についての説明から始められている
それによると鞆は景色が美しく霊験があり、地の利もある…と
また沼名前神社は「ぬなさき」ではなく、
『奴奈久萬(ぬなくま)』が正式の呼び方
また鞆という地名の由来、そしてこの地に『沼名前神社』が祀られている由来も、
神功皇后の熊襲遠征(仲哀天皇2年)にまつわる伝説に起因する
沼名前神社の境内に鎮座している渡守(わたす)神社が、
実は沼名前神社の前身であり、
神功皇后により「綿津見命」が祀られ、
海の航海安全が祈願されたという事が記されている
坂を登り、入り口の右手に『森下仁丹』の創業者である森下博翁の胸像があり、
出所としても知られており、更に長い階段を上り詰めた正面に社殿がある
自然の山を背景に収まっており、風光明媚な景勝地を一望できる広い境内には数々の神社があり、
数多くの神々が祀られています
お弓神事・お手火神事は有名で、市の無形文化財にも指定されており、
格式のある能舞台始めいくつかの重要文化財もあり歴史を感じる
また神社の統廃合の経緯から、「須佐之男命」を祀る「祇園宮」も一緒に祀られており、
現在も祇園さんとして親しまれているそうです
沼名前神社(鞆祇園宮)
所在地/広島県福山市鞆町後地1225
営業時間/8:00~16:00

【写真/焼失前の「沼名前神社」】
当時は檜材・檜皮葺・箱棟付という
格調のある佇まいであったことが偲ばれる