モデルとなった場所
ブログネタ:『崖の上のポニョ』の歌が耳から離れない人、いる? 参加中本文はここから

鞆の浦周辺は1934年に制定された瀬戸内海国立公園において最初に指定された地区である。そのため指定当時の記念切手や絵葉書には鞆の風景が描かれている。なお、現在は市街地も含めた範囲を鞆の浦と呼ぶことも多いが、「鞆の浦」とは本来は「鞆にある入り江」という意味で厳密には鞆港のことで、町の名称としては「鞆」が正確である。
瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転するわけで、「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流であった時代に沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件から大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、古代より潮待ちの港と知られていた。また、魏志倭人伝に書かれる「投馬国」の推定地のひとつともなっている。
古い町並みがよく残り、江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃っているのは全国でも鞆の浦のみであるが、このうち焚場の一部を破壊する道路整備計画が進んでいる。
まだ観てませんが大ヒット上映中らしいですな
