生死について考えさせられる出来事があり、ほんとに生きているということをとても考えさせられました。その時に昔読んでいたことがある。明日死ぬかもよと言う本を目にした時に、これって本当にあり得ることだなと思ってしまいました。いつも当たり前のように生活していますが、いつなんときどうなるかわからないと言うのは常にありえる話です。

 

もしそうあと数分後に亡くなる時にあなたは後悔せずに死ぬことはできますかという問いかけを問われると、

その時にあれをやっていればこれをやっていればという後悔がいくらでも出てきてしまいます。それだけやりたいことがまだまだやれていませんし。本当に欲しい物も手に入れていません。

 

やりたいことを制限してしまって本当にやりたい事なんて全然できていませんし、やりたいことなんていくらでも出てきますからね。

 

そうなってくるとこれからの行動の方向性も本当に変わってくるなと思いました。今までできないと思って制限をかけてしまっていたり、お金がないと思ってできなかったことたくさんあります。しかし、やり方や考え方を変えればできることもたくさんありました。

 

できないことをどんどん先送りにしてしまってできないとなるのではなく、今できる範囲のできること少しずつでもやっていくという。行動を取っていきたい、自分を満たしていきたいと思い始めました。

 

過去の自分へ、成功したいと頑張ってきたけども、そんなことより、やりたいことや本当に痛い人といることが幸せであったり、外への意識や人の評価を気にするより自分が満たされることや、幸せになることをどんどん追いかけていこうが本当に幸せだったりすると感じてくるよ。

ついていると言う言葉を明日連呼すると思う良いと言うものがありますが、あれはその通りと思う面もありますが、そんなんなるわけないだろうと完全に疑った状態で否定的に思っていれば、ついてると言えば言うほどしんどくなってしまう状態にもなりかねないわけです。

 

そんな状態でいくらついていると言ってもしんどくなっていくだけなのかなと思ってしまう面もあります。

 

もしくは、ついていると言っているうちについてることのレベルがどんどん低くなっていって付いていることへの反応がとても敏感になっていって、こんなことでもついているな。

 

あんなことでもついているなと思えるようになってきて、自分が成長していけばついていると思うことが出来始めて、本当に小さなついているの積み重ねがとても大きな徳となりホントに就いている人間になると言う考え方もあると思います。

 

私の場合は、あだんだん自分を受け容れてきたり、否定を止めたり、ちょっとしたことでも喜んでみたりは褒めてみたり責めることをやめて見ていくと、少しずつ、ついているなと思うことも増えてきました。

 

嬉しいことや良い事があったという事のハードルがとてもとても低くなっていきました。ほんとにどんなことでも嬉しく感じてしまいますし、喜んじゃうということをするようになってくると、これ実はついているんじゃない?と思えるようなことも感じられるようになってきたと思います。

 

もしくは何か調子が悪いなと思っていた時でも、自分の調子に戻していくことを何個かやっていくと最終的にたまたまついていることにめぐり合ったりなんていうこともあったりします。

 

最近であれば、ほんとにぐったり疲れてしまっていて、日頃の自分がスッキリすることであったりホッとすることの習慣をあまりできていませんでした。

 

それを久しぶりにやろうと思い、散歩をしてスッキリしてみて、帰りにコンビニに寄り、買い物して帰ろうとしたところ、レシートがなんとアタイくじがついていてビールが当たったなんてついていることもあったりしました。

 

こらこれで本当に嬉しくて、自分のすっきりしたいい状態に持っていったからこそこんなに嬉しいついてることが起きてくれて更に嬉しい状態になるという最高の状態。

 

ついてる状態もほんとうにほんとうにハードルがどんどん低くなっていって、どんなことでもついていると思えるようになっていけば、幸せ体質になっていけますし、幸せだなと思いながら生きていけると思います。

 

昔の自分小さなことでいいから幸せを感じろ!

最近自分との対話をすることが多くなってきたように感じます。

 

以前であったら、対話をするというよりは、無理やり自分にやってもらうと言う感じが多くあったように思います。

 

特に仕事などでは、自分に対して厳しく接して、まるで嫌な上司と言う感じです。

 

できそうにもない目標などを立てて、自分を常に鼓舞しながらできないと責めていくというような状態で毎日攻め続けていたように感じます。

 

そして、仕事だけでもなく、何かうまく行かない事があってしまうとそれに対して自分を責めてしまったり、さらにはネガティブになってしまうなんてことが多かったように感じます。

 

自分を責めてしまうということはよくありましたし、か会話をするというよりはいいなりにしながら無理やり頑張らせていたことが多かったなと感じます。

 

そういうことのほとんどは外に意識がいってることがとても多く、これだけ出来なければためだと言う思いであったり、こうならなくちゃ、ならなければいけないしなければいけないと言う思いがあったからこそ無理やり自分を頑張らせながらやってきたように思います。

 

そうやっていると本当に辛い。

辛くて辛くてしょうがないですからね。

 

だって自分が嫌な上司てあったり嫌なことを友達からだったり、親に言われているかのようなことを自分が自分でしてしまっていますからね。

 

そうなってしまうと、いつでも辛いですしね。心も休まらない状態ができてしまいます。

 

今になって対話ができるような状態になってきてから外大変だったり辛い思いをしてきたんだなと思うようになりました。

 

対話が出来てきてから思うことは、今まではどうしたいの?と思ったときに分からないと言う回答することとても多かったです。

 

人からどうしたいと言われた時もそうでしたし、自分で自分に来た時にもそれがはっきりと言えないことが多くありました。最近はどうしたいのかということから、なぜこの嫌なのは全てが本当に嫌なのか、1部のここだけ嫌なのかという細分化をしながら細かく細かく自分のいい気持ちであるところや嫌なところを見ていくようにしています。またはほんとにたまにですが褒めるねぎらうということもしてき始めたらだいぶ変わってきたかなと思います。

 

ダメな自分が嫌だと言う事でよく攻めながらやってきましたが無理やりにがんばってきたり、責めながらでもなんとかやっていくことが効果的だと思っていましたが、全く効果的ではないことに気付き、むしろ逆効果ということも気付けてきたので、今はその逆を行くように、しています。

 

自分を責めたところで何かいいことがあるわけではないんだよ。

 

そう、昔の自分に言ってあげたいところです。