ダメな自分を認めるということ。

 

これができることによって、かなり気持ちが変わってくると思うんです。

 

と言いつつも全然私の中ではできていませんし、ダメな自分が嫌だからどうにか変えていこうと思ってひたすら頑張っていた時期があります。

 

それが人に認められようということであったり、仕事で認められようということで必死に必死に頑張っていくのですが、成果が出たときには認められることができるかもしれま成果が出ない限り認めることはできません。

 

これはどこまで行っても追いかけっこのような状態になってしまいます。

 

人に認められるためにひたすらひたすら頑張ってきた経験がありますが、人に認められたい欲求もありますが、母親に認められたいという欲求もとても大きかったです。

 

なかなか母親に認めてもらうという経験がなかったその出てますここも実際のところは認めないというよりは、不安だからこそきちんと育てなければと言う考え方であったり、不安だからこそそんな考え方じゃダメだということであったりやめなさいと言う事ってよくありませんか?

 

親の愛情表現が不器用だったのかもしれませんが、何をしても認めてくれない状況なんとか認めてもらうために必死になってしまったりします。

 

そうやって人に認められたいと思ってなんとか頑張ってしまいますが、最終的には自分が認めないことにはどこまでも人に認められる承認欲求を引き出してきてひたすら認められるために頑張るということをやり続けてしまいます。

 

それを結構長い間やってしまったので、ひたすら自分を責めるは、認めてもらう為に頑張るわ、

 

それで認めてもらえなくて凹むは攻めるわでなかなか酷い状況に陥っていたことがあります。これをやってるとほんとにしないもので、

 

ひたすら自分を責めながら頑張っテ頑張ってやっていくのですが、

 

本当に成果を仮想ない限り認められませんし、成果を自分なりに出したからといって認められるものではありませんからね。

 

 

ここで最終的に大事になるのは、自分で自分を認めてあげるということは本当に大事だということに少しずつやっと気付いたかな?

 

と思うこのごろです。

 

未だに言ってることは分かるけどと言うところがまだまだあるかもしれません。

 

しかし、ちょっとずつでも自分を認める事が増えてきたからか、よく頑張ったと思えるようになったり、ちょっとしたことでも褒めるということも少しずつできるようになってきました。

 

この自分を認めるということができてくると本当に楽になるもので、親に出会ったり人に認めてもらうために外に外にと感情が言っていましたが、自分で自分を認めてあげることができれば、いつでもどこでも認めてあげることができてしまいます。これができると本当に楽です。

 

いつでもどこでもできてしまうのは本当に素晴らしいところです。そして、人に認められようと頑張らなくても自分が認めてしまえば、自分が自分で認められてしまうので何でもOKになってしまいます。

 

す。そしてこれの極論が、ダメな自分でも認めてしまうということができれば本当に最強の状況になります。

 

人はもともとタメな状態でも素晴らしい状態ですし、認められる状況ですが、認められたいという承認欲求をこじらせてしまうとなかなか大変な状況になってしまいます。

 

しかしこんなダメな自分でも認めてしまうとそんなすごい俺が何をやってもうまくいくかと思えるようにもなってきます。

 

といってもこの状況まではまだまだ上り詰められていませんが、これができたら本当にすごいだろうなと感じてしまいます。

 

だって今まで母親から認められたいと頑張ってきたけど、相当頑張って色々してきたものは、すべて認めてしまえば今までの頑張りは素晴らしいものになってしまうわけです。そしたら本当に素晴らしいし、何でも自分って素晴らしいって思えてしまいます。

 

過去に本当に頑張っていた自分に言ってあげたい。ダメな自分でもOKなんだよ。認めてあげていんだよ。親に認めてもらわなくても良かったんだよ。自分が認めてあげればよかったんだよ。ダメだと思ってても素晴らしい十分なんだから大丈夫。と言ってあげたい。

ダメな自分を認めるということ。

 

これができることによって、かなり背帰って変わってくると思うんです。

 

と言いつつも全然私の中ではできていませんし、ダメな自分が嫌だからどうにか変えていこうと思ってひたすら頑張っていた時期があります。

 

それが人に認められようということであったり、仕事で認められようということで必死に必死に頑張っていくのですが、成果が出たときには認められることができるかもしれま成果が出ない限り認めることはできません。

 

これはどこまで行っても追いかけっこのような状態になってしまいます。

 

人に認められるためにひたすらひたすら頑張ってきた経験がありますが、人に認められたい欲求もありますが、母親に認められたいという欲求もとても大きかったです。

 

なかなか母親に認めてもらうという経験がなかったその出てますここも実際のところは認めないというよりは、不安だからこそきちんと育てなければと言う考え方であったり、不安だからこそそんな考え方じゃダメだということであったりやめなさいと言う事ってよくありませんか?

 

親の愛情表現が不器用だったのかもしれませんが、何をしても認めてくれない状況なんとか認めてもらうために必死になってしまったりします。

 

そうやって人に認められたいと思ってなんとか頑張ってしまいますが、最終的には自分が認めないことにはどこまでも人に認められる承認欲求を引き出してきてひたすら認められるために頑張るということをやり続けてしまいます。

 

それを結構長い間やってしまったので、ひたすら自分を責めるは、認めてもらう為に頑張るわ、

 

それで認めてもらえなくて凹むは攻めるわでなかなか酷い状況に陥っていたことがあります。これをやってるとほんとにしないもので、

 

ひたすら自分を責めながら頑張っテ頑張ってやっていくのですが、

 

本当に成果を仮想ない限り認められませんし、成果を自分なりに出したからといって認められるものではありませんからね。

 

 

ここで最終的に大事になるのは、自分で自分を認めてあげるということは本当に大事だということに少しずつやっと気付いたかな?

 

と思うこのごろです。

 

未だに言ってることは分かるけどと言うところがまだまだあるかもしれません。

 

しかし、ちょっとずつでも自分を認める事が増えてきたからか、よく頑張ったと思えるようになったり、ちょっとしたことでも褒めるということも少しずつできるようになってきました。

 

この自分を認めるということができてくると本当に楽になるもので、親に出会ったり人に認めてもらうために外に外にと感情が言っていましたが、自分で自分を認めてあげることができれば、いつでもどこでも認めてあげることができてしまいます。これができると本当に楽です。

 

いつでもどこでもできてしまうのは本当に素晴らしいところです。そして、人に認められようと頑張らなくても自分が認めてしまえば、自分が自分で認められてしまうので何でもOKになってしまいます。

 

す。そしてこれの極論が、ダメな自分でも認めてしまうということができれば本当に最強の状況になります。

 

人はもともとタメな状態でも素晴らしい状態ですし、認められる状況ですが、認められたいという承認欲求をこじらせてしまうとなかなか大変な状況になってしまいます。

 

しかしこんなダメな自分でも認めてしまうとそんなすごい俺が何をやってもうまくいくかと思えるようにもなってきます。

 

といってもこの状況まではまだまだ上り詰められていませんが、これができたら本当にすごいだろうなと感じてしまいます。

 

だって今まで母親から認められたいと頑張ってきたけど、相当頑張って色々してきたものは、すべて認めてしまえば今までの頑張りは素晴らしいものになってしまうわけです。そしたら本当に素晴らしいし、何でも自分って素晴らしいって思えてしまいます。

 

過去に本当に頑張っていた自分に言ってあげたい。ダメな自分でもOKなんだよ。認めてあげていんだよ。親に認めてもらわなくても良かったんだよ。自分が認めてあげればよかったんだよ。ダメだと思ってても素晴らしい十分なんだから大丈夫。と言ってあげたい。

ほっとすることは本当に大事だなと感じますし、常に継続していけばいくほどホントに大事さを感じてきます。

 

この部分はほんとに毎日の継続ですし、ちょっとしたこと気にすぐ出来る事ですが、これをやるかやらないかてやらない選択をしていたり、無意識に人に悪いと思って自分の心地良くない方を選んでしまいます。

 

 

これは心地良くないなと思ったとしても、そのままほうっておいてしまいます。

 

それが、蓄積されて後々になっても嫌な気持ちが悶々としてしまうことってありませんか?

 

そういう時って、実は意外と回避できたりしますし、人に気を遣ってしまったりしてしまうことを本当にありますよね。

 

この状態に陥った時に嫌だなと自分でしっかりと感じ取ることができ、さらに、その状況から逃げるなり、離れるなりすることって意外とできるので、私の場合は本当に嫌だったらその場から離れるという事は出来る限りやるようにしています。

 

また嫌な状態になったり、気持ち的に不安に陥ってしまって、心ここにあらずな状態になってしまうことってありませんか。

 

それ以来の不安であったり過去のことにとらわれてしまって今に気持ちがなくなってしまうことってあります。

 

そういう場合って、過去や未来にとらわれて色々考えてしまいますが、過去は過ぎてしまったので、変えることはできませんし、未来はまだ怒っていませんし、全起こりえないこといろいろと考えて見たところで何か変わるわけではありません。

 

私の場合、未来や過去に行ってしまい不安や怖れに飲み込まれそうになってしまった時は、今に戻るためのほっとする習慣をつけています。

 

例えば私の場合はココアを飲むなどや、暖かい飲み物やカフェオレを飲んであげるということをしてあげたりします。

 

そうすることによって、体自体が緩んで、気持ちも緩んだ感覚になります。

 

体が緩んだだけでもだいぶ気持ちはゆったりしてくれますし、もしくはストレッチをするのも私は好きです。

 

ストレッチをすることで体も直接緩めてあげることで気持ちもゆるりとすることがあります。

 

あとは好きなものを食べてあげる、作ってあげるなんてこともしています。

 

美味しいものを食べることによって、心も体もほっこりと緩んでくれますし、幸せな気持ちになることができます。

 

料理を作ることも好きなので、自分の好きな味の好みをしているために、美味しいものを美味しい味付けで作って食べるというのも幸せの内です。

 

スタバでコーヒーを飲んであげるのも好きなことの一つです。

 

私はキャラメルマキアートが好きで、これを飲みながらスタバでゆっくりしているというのが至福な時間になります。

 

シャワーを浴びたりすることも体がゆるむ事の一つです。シャワーを浴びることでほっと気持ちが緩みますし、体も暖まりとてもゆるんでくれます。

 

体を温めることでほっとできるものとして、あずきのチカラってご存知ですか?

 

あれもほっとする物も一つのアイテムとして使っていて、目元よと首元用を持っていますが、体が本当に緩んでくれます.気持ちも緩んでくれます。

 

このように、ほっとするアイテムが自分にどれだけあるかどうかということはとても大事なことになってきます。

 

体をほっとさせて今この瞬間に集中できるようにして、未来の不安や過去の事にとらわれないようにしてくると、考え方もだいぶ楽になってきます。

 

今この瞬間に生きると言う練習をコツコツしていくことで、日々の考え方も変わってきます。

 

ほっとすることは私がやってみて、本当に役立った事の一つです。

 

未来や過去にとらわれることって、ことにエネルギーがただ漏れになってしまう状態ですし、結構気持ちも消費してしまいますし、それにともなって体に力が入っていたり、カチカチになっていたりしてしんどい状態になりやすいです。そんな状態を気持ちの面から心の面からほっとできたらだいぶ余裕も出来てきます。