先日、告知させて頂いた『お知らせ』ですが
まだ、連絡が取れない状態なので
このまま暫く、ネタ前に告知をさせて頂きます。
実は、連絡を取りたい方がいらっしゃるのですが
連絡先が判らなくなってしまった為
このような形で告知させて頂きます。
我が家のご近所に住んでいて
私が日本から戻ってきたら是非、お茶でもしましょうと
お約束をさせていただいた方
頂いたアメブロのメッセージが60日を過ぎてしまい
連絡を取れなくなってしまいました。
こんな形になってしまい、申し訳ございません。
他の方法が思い浮かばなかった為
このような形になってしまいましたが
宜しければ、もう一度メッセージを送って頂けますでしょうか?
お願い致します。
今回、旦那は仕事の都合で
私と一緒に出発出来なかったものの、数日遅れで日本入り。
そして、合流した次の日に
nene両親と旦那と4人で行った『川越祭り』。
前回、日本に行った時にも川越には行きましたが
また今回も行きたいと思い、色々検索していたら
たまたまタイミングよく『川越祭り』があることを知り
是非、行ってみたいと思っていました。
今まで、川越には何度か行った事がありますが
『川越祭り』に行くのは初めてでした。
旦那に『お祭り』というのが
どんなものなのか、見せてあげたかったんですよね(笑)。
そして、あの古い蔵作りの独特な雰囲気も
日本らしい感じが好きで、見せたかったし。
以下は『川越市蔵作り資料館』のサイトから引用させて頂きました。
川越に蔵造りの町並みが形成される契機となったのは
明治26年の大火です。
この未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への
意識の変革をもたらしました。
川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる
江戸との商いで富の蓄積があり
復興のための財力は十分にあったようですが、
同じ惨事を繰り返さないよう
建物そのものを防火建築にすることを考えました。
大火の際に焼け残った建物が
伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し
商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。
もっとも、東京日本橋には明治10年代に
既に蔵造り建物による町並みが形成されていたこともあり
江戸の商人に対する羨望や憧憬もあったのかもしれません。
この頃、東京では既に耐火建築として
レンガ造りや石積みの近代的な建物が造られていましたが
川越商人たちは伝統的な蔵造り建物を選択しました。
しかし、伝統工法に固執するわけでなく
レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も柔軟に取り入れ
いわば「川越的蔵造り建物」による町並みが形成されていきました。
当蔵造り資料館も1階の腰巻には
人造石洗出仕上げの漆喰塗りが使用されており
黒漆喰をまとった建物のアクセントになっています。
このような土壁・漆喰塗りだけでない建物は市街地にたくさんあります。
町並み散策の折には建物の各所に目を配られることをお勧めします。
川越には、学生時代にとても仲良くしていた
親友が住んでいるので、ちょっと連絡をとって
ほんの少し会う時間が取れましたが
彼女の息子さん達が、お祭りに参加するということで
本当につかの間の再会となりました。
彼女は、全然変わってないなぁ~。
私は、太りまくったけど(爆死)。
でも、未だに着ているお洋服の趣味が一緒で
私の両親が『相変わらずだ』と笑っていました。
そういうのって、ずっと変わらないものなのかも。
『川越祭り』は私が思っていた以上に
規模の大きなお祭りで、人出も凄かった。
かなりモミクチャになりながら
お祭りを見学した後、なんだか疲れたので
少し人でから遠ざかって、川越見物。
この日は、一日中、とてもよく歩きました。
そのお話は、また次回。



焦らすわよーん。
まだ、連絡が取れない状態なので
このまま暫く、ネタ前に告知をさせて頂きます。
実は、連絡を取りたい方がいらっしゃるのですが
連絡先が判らなくなってしまった為
このような形で告知させて頂きます。
我が家のご近所に住んでいて
私が日本から戻ってきたら是非、お茶でもしましょうと
お約束をさせていただいた方
頂いたアメブロのメッセージが60日を過ぎてしまい
連絡を取れなくなってしまいました。
こんな形になってしまい、申し訳ございません。
他の方法が思い浮かばなかった為
このような形になってしまいましたが
宜しければ、もう一度メッセージを送って頂けますでしょうか?
お願い致します。
今回、旦那は仕事の都合で
私と一緒に出発出来なかったものの、数日遅れで日本入り。
そして、合流した次の日に
nene両親と旦那と4人で行った『川越祭り』。
前回、日本に行った時にも川越には行きましたが
また今回も行きたいと思い、色々検索していたら
たまたまタイミングよく『川越祭り』があることを知り
是非、行ってみたいと思っていました。
今まで、川越には何度か行った事がありますが
『川越祭り』に行くのは初めてでした。
旦那に『お祭り』というのが
どんなものなのか、見せてあげたかったんですよね(笑)。
そして、あの古い蔵作りの独特な雰囲気も
日本らしい感じが好きで、見せたかったし。
以下は『川越市蔵作り資料館』のサイトから引用させて頂きました。
川越に蔵造りの町並みが形成される契機となったのは
明治26年の大火です。
この未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への
意識の変革をもたらしました。
川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる
江戸との商いで富の蓄積があり
復興のための財力は十分にあったようですが、
同じ惨事を繰り返さないよう
建物そのものを防火建築にすることを考えました。
大火の際に焼け残った建物が
伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し
商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。
もっとも、東京日本橋には明治10年代に
既に蔵造り建物による町並みが形成されていたこともあり
江戸の商人に対する羨望や憧憬もあったのかもしれません。
この頃、東京では既に耐火建築として
レンガ造りや石積みの近代的な建物が造られていましたが
川越商人たちは伝統的な蔵造り建物を選択しました。
しかし、伝統工法に固執するわけでなく
レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も柔軟に取り入れ
いわば「川越的蔵造り建物」による町並みが形成されていきました。
当蔵造り資料館も1階の腰巻には
人造石洗出仕上げの漆喰塗りが使用されており
黒漆喰をまとった建物のアクセントになっています。
このような土壁・漆喰塗りだけでない建物は市街地にたくさんあります。
町並み散策の折には建物の各所に目を配られることをお勧めします。
川越には、学生時代にとても仲良くしていた
親友が住んでいるので、ちょっと連絡をとって
ほんの少し会う時間が取れましたが
彼女の息子さん達が、お祭りに参加するということで
本当につかの間の再会となりました。
彼女は、全然変わってないなぁ~。
私は、太りまくったけど(爆死)。
でも、未だに着ているお洋服の趣味が一緒で
私の両親が『相変わらずだ』と笑っていました。
そういうのって、ずっと変わらないものなのかも。
『川越祭り』は私が思っていた以上に
規模の大きなお祭りで、人出も凄かった。
かなりモミクチャになりながら
お祭りを見学した後、なんだか疲れたので
少し人でから遠ざかって、川越見物。
この日は、一日中、とてもよく歩きました。
そのお話は、また次回。



焦らすわよーん。




