花屋の娘たちとフジファブリックの車窓とジーザスの話 | 考えてる途中。

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おもにエビ中の好きな曲のこととかを考えてる途中。
ふしぎと意味のない文章ばかり書きあがります。

落ち着いた気分のようでまだ落ち着いてないけど少し落ち着いた気分。
今まさに桃屋のラー油のようなメンタルで秋の夜長を過ごしておりますが、こんなときはちょっと視線をはずして遠くを見て目を休めるのが良いのに違いないのです。なので今回はあさっての方向を向いて更新。

 

 

夕暮れの路面電車 人気は無いのに座らないで外見てた

暇つぶしに駅前の 花屋さんの娘にちょっと恋をした

 

これはフジファブリックのインディーズ時代のミニアルバム「アラモード」に収録された花屋の娘出だしの一節です。youtubeありましたが公式ではないようですのでいつか消されるかもです。

 

この歌の主人公は、車窓から見えた花屋さんの娘を相手に脳内会話と洒落込みます。勝手に菫(スミレ)と名をつけ、一緒に公園に出かけ、脳内のその子が自分を見る瞳の眩しさで目が眩んだりします。でも路面電車は容赦せず、すぐに次の町の景色を窓の外に連れてきてしまいます。歌はそこで途切れて終了で、何が起きる訳でもありません。歌詞はコチラ

 

ボーカル志村正彦の朴訥とした歌唱がどこか牧歌的であり、ある種ストーカーじみたキモさもあり、一周回った格好良さがあり、まぬけさもあり、少々ブンガク的な匂いも漂います。しかし楽曲のテンポはアレグロで、コードは一貫してマイナー。昼下がりに脳内会話を嗜む男のイメージと真逆の、切羽詰まったような曲調の中でピアノの音色が印象的に響く一曲です。

 

僕はたまたま目にした深夜のライブ番組でこの曲と出会って、曲調と不思議な迫力に釣られて翌日タワレコまで走ったものでした。CDを手にしてから初めて歌詞を確認し、「こんなこと歌ってたの?」とギャップにびっくり。だって、こんなに悲し気でドラマティックな音なのに、歌詞には事件もドラマも何もないんだもん。電車でみかけた女のコがかわいかったよーんって、それだけなんだもん。

 

でも最近になって、日常っていうのはこの曲のようにアクシデントとセンチメンタリズムに溢れつつも同時にごく平坦であること、そして僕らが出会うモノ付き合うモノ熱を入れあげるモノの現実感なんて、車窓の風景の如く一瞬で姿を変え移り変わるちっぽけものなのでもあるのだろうなあと思うようにもなって、花屋の娘の聴きかた聴こえかたも変わってきています。

たぶんきっと、主人公の妄想癖の男とは、僕のことなのだろう。

 

 

僕は色々な人々の描く風景に出会いたくて、音楽を聴いています。この曲の主人公のごとく、いろんな曲に出会って勝手に妄想を膨らませることで呼吸をしています。

 


 

この曲の発表から12年。残念ながら志村さんの描く風景を共有して楽しむことは出来なくなってしまいました。

しかし残りのフジファブリックのメンバーが乗った路面電車の車窓には、8人の花屋の娘が現れました。彼らはこのコたちに妄想上の名前ではなく、お願いジーザスという素晴らしい楽曲を現実にプレゼントしてくれました。

志村さんが他界されたあと不義理にも別の方向を見ていた僕にも、彼らは彼女らと一緒にこの曲で新しい風景を見せてくれました。今度はモデラートの優しく幻想的な風景でした。

 

そういった風景が見られるうちは、僕は暢気に、そして精一杯、窓外の花屋の娘に恋をし続けることにしておこうかなあと。たとえ一瞬だけでものんびりとずっと。なんとなくいまそういう言葉を書いておきたいと思ったのです。

 

 

 

なんかワケわからんけど、そろそろリハビリやめて、

ちゃんと馬鹿馬鹿しいブログ目指してがんばります。

それでは。