
ポップコーントーン
作詞:田村歩美 作曲:田村歩美
みなさん、ポップコーン食べてますか?
ポップコーントーン聞いてますか?
ダウンロードしまくってますか?
ABEDONさんのABEDONさんらしい楽曲
「ゼッテーアナーキー」のDL販売が始まって久しいですが、
ポップコーントーンもまた良曲なんですよねー。

穴空サイトのたむらぱんコメントによりますと、
ご本人は「大人はわかってくれない」第2章のような曲ではと仰ってますが、
姐さん何をとぼけてるんですか!完璧に第2章じゃないですか!
曲の入りからして歪みの強いギターのコードワークと
控えめに裏拍を採りいれた軽く浮遊感のあるドラムフレーズ。
オルガンが入ってこないという違いはありますが、
「大人は~」を意識した作りになっていることは明白です。
だので今回は、「大人は~」と「ポップコーントーン」の違いについて、
歌詞や曲の作りから、ちょっくら考えてみようと思うのです。

ええと、まず「大人はわかってくれない」の歌詞は、
大人社会という大きな対象に向け、自分の思いをぶつけていました。
その際、歌う側の主張や立ち居地は一貫して子供の側にあって、
他人という”個”の存在は、歌詞の中におは見受けられません。
だからこそ、メッセージやいらだちがストレートに伝わってきたんですよね。
対してポップコーントーンの歌詞を冷静に聴くと、
「それでも笑ってきてくれたあなた」「自分を信じてくれたあなた」、
「頑張りを見てもらいたいあなた」といった”個”の人物、
他者が存在していることがわかります。
そのごに出てくる「前より少しは大人になったけど、
その分、少しだけ世界が怖くなった」という部分は、
大人はわかってくれないの世界観との対比にほかなりません。

大人になるっていうことは、守るものが増えることでもあります。
子供なりに行き場のない不安や不満を爆発させていた頃から、
ある者は肉を喰らい背が伸びて、ある者は歌もダンスも伸びて、
見えなかったはずの「大人の視点」に少しずつ届いてきて、
なんつーか頭の中がポップ混沌としているわけですよ。
うん。
出席番号の歌のその1→その2の変化と、
「大人は」→「ポップコーントーン」を並列に並べると、
状況は二重によくわかるかもしれない。

そして、怖いものが増えてきたはずなのに、
曲調はとても明るくなりましたよね。
これは世界が少しだけ怖くなったことと引き換えに、
ひとりでは大きくなっていけないこと、
誰かをわかりたいこと、誰かとわかりあいたいこと、
そこに幸せを見出すことが出来るようになったこと。
そんな気持ちが明るい曲調に出ているように思うのです。
狙ったのかどうかわかりませんが、
曲の終わり方にも軽くこういった特徴が現れてまして。
ギターのスクラッチで無理やり〆られる「大人は~」に対し、
「ポップコーントーン」は曲中続けられてきたフレーズを
ギターとベースのみに絞ってふた回しして〆られます。
前者は爆発させて”終わらせる”刹那的な感じ、
後者は冷静な”終わらなさ”を予感させる感じです。
歌詞にもたむらぱんコメントにも、
「終わらない旅」という言葉が使われていますしね。
このあたり、当時と今とでのエビ中の置かれている立場。
そういったものにすごくリンクされているようにも感じるんです。

たむらぱんさんは、池ちゃんや回帰さんと比べて、
エビ中と行動を共にすることは少ないと思うんですが、
どうしてこうも彼女らの変化や立ち位置や思いに対して
敏感に慎重に大胆に捉えて楽曲を作ることができるのでしょうか。
本当にすばらしいアーティストさんだと思うほかないのです。
そんなこんなで「ポップコーントーン」、100点を差し上げる。←えらそう
さて。
「アナーキー」といえば無政府状態のこと。
しかし上記の通り「ポップコーントーン」を読み解いてみると、
自己と他者の存在をしっかり受け止める楽曲になっていることがわかります。

ピストルズ的なわかりやすいアナーキーさでは、ポップコーントーンより、
「大人はわかってくれない」に軍配が上がると思いますが、
アルバムを全部通して聞いた時、この曲はどのように聞こえてくるでしょうか。
前がモラ中、うしろが面皰。はたして!
4月20日を楽しみに待とうと思います。