関わらない、という選択は、  
無関心とは違う。

拒絶でも、  
諦めでもない。

それは、  
距離を測った結果としての判断だ。

すべてに関わろうとすると、  
判断は雑になる。  
すべてに反応しようとすると、  
自分の立ち位置が曖昧になる。

だから、  
あえて関わらない。

見ていないのではなく、  
見た上で距離を取る。

語れないのではなく、  
語らない方が適切だと判断する。

その選択は、  
冷たく見えるかもしれない。  
だが、  
関わらないことでしか守れないものもある。

時間。  
空気。  
場の質。

それらは、  
一度崩れると戻らない。

関わるかどうかは、  
善悪では決まらない。  
好き嫌いでもない。

その場に立つ覚悟があるか。  
引き受ける準備があるか。  
そこまで含めて、  
関わるという行為だからだ。

だから、  
距離を取る人間ほど、  
無責任ではない。

むしろ、  
自分が引き受けられる範囲を  
正確に把握している。

何もしない、という選択ではない。  
どこまでやるか、を決めているだけだ。

関わらないという判断は、  
行動の放棄ではなく、  
行動の配置だ。

それが見えないと、  
沈黙と無関心を  
同じものとして扱ってしまう。

ここでは、  
その違いだけを  
記録しておく。