何かを実際にやっている人間ほど、
説明を減らしていく。
最初から語らないわけではない。
必要な説明はする。
ただ、ある段階を越えると、
言葉を足さなくなる。
理由は単純だ。
説明は、
理解を助けるためのものだが、
同時に、
責任を分散させてしまう。
説明が多いほど、
受け手は「分かったつもり」になる。
分かったつもりになると、
行動は起きない。
場に立つ人間は、
それを知っている。
だから、
すべてを言語化しない。
言葉で納得させるより、
その場に来るかどうかで、
判断してもらう。
説明を減らすことは、
不親切ではない。
選別だ。
時間を使う意思があるか、
空気を読む覚悟があるか、
引き受ける気があるか。
それらは、
説明では測れない。
場に立てば分かることを、
あらかじめ説明してしまうと、
場そのものの意味が失われる。
だから、
説明は削られていく。
何も語らないのではない。
語る順番を、
意図的に遅らせているだけだ。
言葉を先に渡すか、
場を先に差し出すか。
その選択で、
集まる人間の質は、
決定的に変わる。
ここまで読んで、
まだ説明が欲しいと感じるなら、
この場所は合わない。
説明が足りないと感じない人間だけが、
次の場に立つ。