唐突ですが
読書せずに文章を書く、というのは
様々な意味でナメている、と思うのです。


○権利の問題
○教養の問題
○寿命の問題

私がぱっと思いつくのはこれくらい。
じっくり考えればもっと出てくると思います。

まず権利の問題からつっこんでいこうと思います。


権利、というのは言い換えれば
著作権についてです。
文学史は(日本文学に限れば)古事記、竹取物語に始まり、
1000年余の歴史を持っています。
そのなかで特に有名なものってありますよね。
たとえば初期からぱっとあげていくと、
古事記
竹取物語
源氏物語
枕草子
大鏡
とりかへばや物語
今昔物語
……etc
となるわけですが(順番は思いついた順なので気にしないでください)
鎌倉なんてあたりになると
平家物語
方丈記
徒然草
なんてなって、(ちょっとここの辺りは忘れかけています)
江戸に入り(かなり飛びますがご勘弁を)
雨月物語
南総里見八犬伝
好色一代男
東海道中膝栗毛
などとなります。
明治に入るとちょっと流れが変わり
文語体で書く女流作家の樋口一葉、
口語と文語を一体にした二葉亭四迷の浮雲など
文学的に着目すべき箇所を見いだせます。
坊ちゃん、我が輩は猫である、三四郎などの夏目漱石、
小僧の神様、網走までなどの志賀直哉、
蜘蛛の糸、羅生門、芋粥などの芥川龍之介、
人間失格、斜陽などの太宰治、
短歌で言えば哀しき玩具の石川啄木。
私はこの時代の文学が一番肌に合います。

これらをあげた意味などはなく、
ただの一例です。
ですが、読んでいると、
文学ってこういうことだよなあ、とすごく思うのです。

江戸時代くらいまでは
ファンタジー、というより
文章とは想像で遊ぶもの、という感覚だったのだと思います。
源氏物語で言えば
読んで思い浮かべて光源氏の美しさに思いを馳せる、ということ。
それだけでも私は良いと思います。
想像してくれている、ということだから。

明治に入ると、いわゆる文学性に富んだ作品が多くなります。
ぶっちゃけてしまえば私は特に夏目漱石、志賀直哉が好きで、
小学生の頃、自由研究で夏目漱石の研究をしたほどなのです(・∀・)


彼らの作品の文学性というのは、
深い教養に基づいたものです。
それを表現するためにこねくりまわすような
ぱっと見は難解な文章を使っているだけだと思います。
ファンで沢山読んでいる人にとっては
沢山の修飾語には暗号のようなものもしこまれている、と思い、
ちょっとコアな(少し偉そうに言いますが)楽しみ方を出来ますが、
単体のみを見た軽々しい人は
『それだけでブンガクなのだ!』
となってしまって、
中身もない、ただの虚飾に満ちた文章を作り上げていると思っています。
もし無理してそんな文章を書くぐらいならストレートに書けばよろしい。
そうすればだんだんどうすれば良いのか分かるはずです。


○教養の問題

これは文章を書く書かないに関わらず、の問題です。
パソコンの前でじっと座ったり
ずっと好きな芸能人の写真や動画を見てニヤニヤしていても
教養はつきません。
むしろ私は
そうしてだらだら過ごすことによって
教養という箔ははがれていくと思っています。
もし、あなたが頭が良い男性(もしくは女性)と結婚したいと思っていて、
お見合いなり合コンなりするときに本の話になったとします。
(両者ともしたことがないので分かりませんが想像で補っていますw)
そこで具体的な本の名前をあげられなかったら……
具体的な本の内容をあげられなかったら……
チャンスを逃す上に恥さらしをしてしまいます。
もし苦手でも、
文章に手を伸ばす行為はきっと他の能力を強くしてくれるはずです。

ちなみにもしそのお相手が、
「私は資治通鑑が好きなのですが〇〇さんはいかがですか?」
なんて言い出したら話だけ聞いてあげるのが得策です。笑

○寿命の問題

あなたの人生、という話などではありません。
これは、小説家としての寿命のことです。
権利についての項にもつながっていますが、
文章を勉強するにあたって、
他人の名作を読んで
ぼうっと妄想をするというのも頭のストレッチになります。
それが新しいインスピレーションを与えることもありますし、
文章を知らなくて内容がダブってしまい、言い訳で、
「読んだ事なかったので……」
と口にするのは書き手にとって屈辱のはずです。



ここまでだらだらと書き綴りましたが、簡単にまとめると、
古今東西の名作を読みましょう!



疲れましたのでここらで!
何か質問やクレームがあればコメント欄にお願いします。