今日、漢方の病院に行ってきました。
触診やら問診やらの結果、やっぱり、ストレスのせいじゃないか、と。
そう言われても、慢性的にストレス抱えてるしなぁ、これもう性格だからなぁ・・・、と、
そんなニュアンスで先生に話をしたら、
「じゃ、ここ最近特に何かあった?」って言われて。
「あ、母が亡くなりました。」って言ったら、
「それだよ!そりゃそうだよ、そりゃぁ辛いよ。」
って言われて。
あ、わたし、辛かったのか、と。
急に腑に落ちて、涙が零れそうになった。
そっからもう、お母さんの記憶がぶわーって蘇ってきて、
小一時間駅ビルを彷徨ってしまった(笑)
いや、歩いてないと叫び出しそうな、そんな気分だったのです。
どこを見ても、お母さんを思い出すんです。
あ、この店お母さんと来たな、とか。
お母さん、ここ来たいって言ってたな、とか。
もう、全部が全部。
当たり前だよね、もう25年近く一緒に暮らしてたんだもんね。
ほんと、迷子みたいに町を彷徨って。
こんなときいつもどうしてたっけ?って考えたら、
さっさと家に帰って、お母さんに愚痴聞いてもらってたんだなぁ、って。
時には、ただただお母さんの背中にへばりついて、
おかーさーん、なんでもないよー、おかーさーん、
とか、バカみたいなことずーっと言い続けて。
お母さんは、「まーた甘えた?あんた何歳なのよー!」って笑ってて。
最後にお母さんが意識的に私を抱きしめてくれたのは、
亡くなる一週間前くらいだった。
あとはもう、お母さん自身が何が何だかわかってなかった。
その、最後のハグのとき。
お母さん、やけくそみたいに、「愛してるよー!うわー!」って言ったんです。
ふざけた口調を装って、不安でいっぱいで震えた声で、言ったの。
迫り来る死の予感を、冗談に変えてしまいたかったんでしょうね。
わたしもそうだったから、「愛してるよー!」ってふざけた口調で言ったの。
今振り返ると、本当に、本当に悔しい。
お母さんは、ずっと脳と骨に転移した癌の治療をしていて、
それぞれの専門医の先生と一緒に頑張ってたんです。
そしたら、肺と肝臓への転移を見落としてて。
もう、気付いたときにはどうしようもなくなってた。
あくまで、今振り返れば、でしかないんだけど。
あと一ヶ月早く転移に気付いていたら。
もう手の施しようがないって分かってても、お母さん、最後の時間を有意義に過ごせたんじゃないかなって。
お母さんは、癌で死ぬことに対しての覚悟はいつも持ってた。
だから、全力で毎日を生きてた。
それなのに、最後の2週間、なんにも出来ないまま、逝ってしまった。
最後の1週間くらいは、お母さんずーっと、ずーっと、
「ちょっと待って。」「どうすればいい?」って言ってた。
最初の頃は、足が痛くて起き上がれないお母さんが、調子を整えてから起き上がるために「ちょっと待って。」って言ってるんだと思ってた。
多分、最初はその通りなんだと思う。
ううん、お母さんにとっては、最後までそうだったんだと思う。
でも、どれだけ待ったって起き上がれないお母さんが、「ちょっと待って。」って何度も何度も繰り返す姿は、
見ていて本当に辛かった。
どんなに待っても、奇跡は起きないから。
「どうすればいい?」も、最初は、介助する私達に「どういう体勢だとあなたたち楽?」みたいなニュアンスだったんだけど、最後はもう、「どうやったら私生きられるの?」って言われてるみたいで、聞いてられなかった。
ちょっと待って。
そう言ってたお母さんの必死な表情が忘れられないの。
よく考えたら、お母さん、よくその言葉を使ってた気がする。
お母さんは、人よりペースのゆっくりした人だったから、
家族で出掛けるときとかも一番準備が遅くて。
それで、ちょっと待ってー!って、よく言ってた。
文句言いながらも、私達は待ってた。
でも、今回ばかりは、私達がいくら待っても、神様が待ってくれなかった。
5日くらい前かな。
母が夢に出て来た。
母が亡くなってから二回目かな。
一回目は、実はお母さんは死んでなかった、って夢。
二年前に亡くなったおばあちゃんも夢の中では普通に生きてて。
いつもみたいに、家族5人で過ごしてた。
で、二回目も、実はお母さんは生きてた!って夢。
でも、ちょっとニュアンスが違って、
わたしは「お母さん生きてたんだね!」ってすっごい喜んでたんだけど、
お母さんはずーっと気まずそうな、申し訳なさそうな顔してたの。
夢の中の私は、少しずつ悟り始めて、でも、気付かない振りをした。
「ごめんね、ホントは死んでるの。」そんなことをお母さんが言い出そうとする度に、
必死で話を逸らしてた。
最近、友達とか、家族以外の人に会うのが嫌で仕方ないんです。
何をしてても、ふっとお母さんのこと思い出して、つい話題にあげてしまって。
相手にとっては迷惑な話だし。
何より、相槌を打たれるのが辛い。
どんなに心を込めて相槌を打ってくれても、
相手にとって私のお母さんは赤の他人だから。
ああ、お母さんがいなくったって世の中普通に回ってくんだなってことを否応なしに思い知らされるから。
でも、明日は友達と出かけなきゃいけない。
学校の卒業式なんです。
ずっと前から、卒業式には出るって決めてて、
それを友達も知ってるから、当然のように一緒に行こうって誘ってくれた。
でも、ね。
私が卒業式に出るって決めたのは、お母さんが出たいって言ったから。
これで本当に学生生活は最後だから、せっかくだから出たいな、って言ってた。
そのときわたしは、お母さんはあと何年も生きられないだろうなって漠然と思ってたから、
一緒に過ごせる人生の節目は全部一緒に過ごしたいって思ってて。
だから、お母さんに見せてあげようと思った。私の晴れ姿。
そして、見せられると思ってた。
一年も先のことじゃなかったし、その時お母さんは元気だったし。
まさか、学生の肩書きを卒業するより早くお母さんが逝ってしまうなんて思ってなかった。
だから、実を言うと、明日の卒業式に行く理由が私にはもうない。
とてもじゃないけど、晴れやかな気持ちでは臨めない。
そんな空気に友達を巻き込むのも嫌だ。
でも、写真の一枚も取って、仏前に供えたい。
そんな勝手な願望だけが膨らんでて。
そういえば、二年前に母方のおじいちゃんが亡くなったのも、学部の卒業式の直前だったなぁ。
卒業式が終わったあと、友達から食事とかに誘われたりしたけど、
それも全部断って、電車で一時間半くらいのおじいちゃんちに行って、
おじいちゃんのお骨の前に袴姿を見せに行ったなぁ。。。
おばあちゃんもすっごく喜んでくれて。
そこからまた一時間半くらいかけて家に帰って。
もう夜になってたかな?
そのとき半分寝たきりになってた父方のおばあちゃんに袴姿を見せて。
一緒に記念撮影!おばあちゃん、すっごく良い笑顔だった。
まさか一ヶ月後にそのおばあちゃんまで死んじゃうなんて夢にも思ってなかった。
本当に、たった2年しか経ってないのに。
大切な人がたくさんいなくなってしまった。
おじいちゃんが死んだって連絡を受けたのは教習所から帰ろうと送迎バスに乗りかけた時だったなぁ。
仮免の試験中に危篤だって留守電が入ってて、
試験が終わってあわてて病院に行こうとしてたときだった。
本当に、糸が切れたみたいにへたりこんで、バカじゃないのってくらい大声で泣きじゃくった。
バスの運転手さんがほんと困ってたなぁ(苦笑)
私、実は、2年前に大きな選択をしたんです。
夢を叶えるために2つの選択肢があって、
1つは時間はかかるけど着実な方、もう1つは博打に近いけどすぐに叶う方。
私は、前者を選んだ。後者の道を行くだけの気力がなかったっていうのもある。
でも、あの時後者の道を選んでいたら。
この2年で亡くなった3人に、私が夢を叶える姿を見て貰うことが出来てたかも知れない。
たらればを繰り返しても意味はないけど。
でも、考えずにはいられない。
私多分、世間の平均より家族依存症なんだと思います。
家族が大事。
友達や恋人より間違いなく大事。
失ったら、自分を見失うくらいに。
ああ、多分、私今多分、人生で一番辛いんだと思う。
こんなことで辛いなんて、随分甘ったれた人生なんだと思うけど。
「ただいまー」って帰ってきて、
「おかえりー」って声が聞こえてこない。
たったそれだけのことなのに。
世界中から見捨てられたような気分だ。
お母さん。
お母さん。
私はどうしたらいいですか?
どうしたら、お母さんは喜んでくれますか?
どう生きたら、私がそっちに逝ったときに、「よく頑張ったね」って言ってくれますか?
私最後に、「おばあちゃんとお父さんのことは任せてね。」って、約束したよね。
わたしは、その約束ちゃんと守れてますか?
おばあちゃんね、もうすぐ私と弟が家を出るから、田舎の親戚の家の近くに引っ越すんだって。
お父さんも、海外に転勤しようかって考えてるんだって。
わたし、どうやったらお母さんとの約束守れるのかな。
わかんないよ。