わけありエホバの証人2世のブログについて
自分は彼のブログの「善なる神様を否定する」という記事において明らかに誤謬であるか、または詭弁と思わしきヵ所を的確に指摘したコメントを投稿したのだが、彼に取って都合の悪かったものらしく、なんとコメントを削除された。
投稿したコメントの内容はこのようなものだ
「自分は洋平さんと同じ様に真実の追求をしている。「批判するために批判」など望んでもいない。
感情的になっていませんか?
言っている事がどんどんおかしくなっていますよ?
例えば【スポーツの例えから類推できないのは、ただ単にミルさんの想像力と理解力の貧困に原因があると思います。】
洋平さん自身が「スポーツの例えから類推出来ないのは」と言っているように、類推を大前提として論旨を組み立てることが誤謬であると気付いていない事がわかる。こういった誤謬を
「間違った類推」
といいます。
「宇宙は時計のように複雑だ。しかしどんな複雑な時計にも設計者がいる。だから、宇宙にも設計者がいるに違いない」
こういう事を言ってしまっているんです。
洋平さん。間違いを認める事は決して恥ずかしい事では無いです。素直になりましょう。
僕も自分で書いた過去のブログの記事が間違っていることに気付いて、自分で訂正しましたよ。
ただ、「野球のルールを守るようプログラムされた人間」が「ルールを守るようにプログラムされていても変化球を投げたり、ヒットを打ったり出来るから楽しいよ」と言った事実を証明することが出来るなら、間違いを認めなくても大丈夫だと思いますよ。」
今覚えている限りでは、このような内容のコメントを投稿した。
彼の論理性が未熟であることが原因の誤謬にもかかわらず、他人の想像力と理解力の貧困に原因がある。
などと言うのであれば、己の論理性を先に磨くべきだと考える。
投稿したコメントの内容はこのようなものだ
「自分は洋平さんと同じ様に真実の追求をしている。「批判するために批判」など望んでもいない。
感情的になっていませんか?
言っている事がどんどんおかしくなっていますよ?
例えば【スポーツの例えから類推できないのは、ただ単にミルさんの想像力と理解力の貧困に原因があると思います。】
洋平さん自身が「スポーツの例えから類推出来ないのは」と言っているように、類推を大前提として論旨を組み立てることが誤謬であると気付いていない事がわかる。こういった誤謬を
「間違った類推」
といいます。
「宇宙は時計のように複雑だ。しかしどんな複雑な時計にも設計者がいる。だから、宇宙にも設計者がいるに違いない」
こういう事を言ってしまっているんです。
洋平さん。間違いを認める事は決して恥ずかしい事では無いです。素直になりましょう。
僕も自分で書いた過去のブログの記事が間違っていることに気付いて、自分で訂正しましたよ。
ただ、「野球のルールを守るようプログラムされた人間」が「ルールを守るようにプログラムされていても変化球を投げたり、ヒットを打ったり出来るから楽しいよ」と言った事実を証明することが出来るなら、間違いを認めなくても大丈夫だと思いますよ。」
今覚えている限りでは、このような内容のコメントを投稿した。
彼の論理性が未熟であることが原因の誤謬にもかかわらず、他人の想像力と理解力の貧困に原因がある。
などと言うのであれば、己の論理性を先に磨くべきだと考える。