もう職場離れて 随分になりますが
一緒に働いていた 仲良しだった人たち
とは 今でも交流あります
スマホに着信履歴あり 折り返すと
逢いたい と・・・ 聞きたいコトあると
言われて あぁ・・・ もしかして・・・
と 思いました しばらく前から
ご主人の体調がすぐれず 田んぼは止めてしまい
畑も自分(友人)が 出来る範囲だけ作ってると
聞いていたので ご主人のコトだろうか?
わたしに聞きたいコト だったら 多分
がんが 見付かってしまったのかも知れない
そんな 予感が 頭の中を過ぎりました
。 。 。 やはりそうでした 。。。。。。
わたしが がん経験者として そして再発繰り返した
身として 言えるコトは
① なるようにしかならない
どんなに踏ん張っても 踏ん張り切れないコトは
出て来ます 自分をあまり追い込まず 少し
心に というか 気持ちに余白を持って治療に
望んでました この治療で 絶対良い結果が出るか
どうかは 誰にも Doctorにも 自分自身にも
判りません 気負っても どうにもならないのです
② 諦めるコトも大事
諦める という言葉は 後ろ向きな印象あります
しかし わたしは 治療するコト 治療を続けるコト
で 何かを諦めなければ ならないコトは 数々そして
度々ありました 諦めると決めたのなら そこから 前を向けば
イイと思ってます 諦めたからこそ 違う面が見えるコトが
あるんです 諦めた自分を 褒める気でいるぐらいが
丁度イイと思います 治療を続けて行くと 様々な分岐があり
岐路に立たされます 取捨選択する上で 諦めた事柄を引き摺らない・・・・
これが書くと簡単ですが なかなか難しいんですよね
③ 治療の方針は自分が納得して 自分自身が決める
これは重要だと思ってました 正直治療は 大変です
今まで元気に昇降できていた 家の階段も 這って昇って
ました 健康な細胞まで 抗がん剤で 痛められているのが
身を以てわかる程 しんどかったです
でも自分が 納得して選んだ治療なので ナニクソ精神で
なんとか治療に臨んでいました
余談ですが 治療は自分が 納得しているのなら それはその人の判断です
よく著名人が がんを患い死に至った時 後からあの治療じゃダメだった
とか あの治療選んだのが悪かった とか 言われたり書かれたり
しますが 本人が最善と思い 選んだ本人の意思 希望です
他人があれこれ 言ったり書いたり するべきじゃナイと思ってます
友人に逢った時も この3つコト わたしなりに伝えました
わたしは がん罹患の当事者でしたが がん罹患者の家族も
重い心 遣る瀬無い気持ちは一緒だと思います
友人も 治療方針は ご主人が自分で 納得して決めて欲しいと
言っていました 無口なご主人は 弱音も吐かない人
らしいのですが 自身の病を どう思っているか どうしようと
考えているか も 夫婦間で 話題にはされないようで どうしたものか・・・
と 不安な様子でした どこまで踏み込んで聞いて良いのか
判らないし 自分もどうするのが良いのか 判らないと・・・
本当に その場その時の状況にならないと 判らないです
だから なるようにしかならない 若しくは なるように
なって行くんだと思ってます 多分わたしの 話しなんか
何の役にも立たないでしょうが 友人が色々 思い吐き出せて
気持ちが 少しでも休まれば 嬉しいのですが・・・
家族で 誰かががんに罹ってしまうと 周りの家族の
心痛も大きいです 3人に1人が がんに罹り その内
2人に1人が 亡くなってしまうと わたしが闘病していた
当時は言われていました 今はその人数内訳も 違ったりするの
でしょうか・・・?? 100人に1人が がんに罹ったとしても もはや
死に病ではない という時代が 近い未来にあれば いいのですが・・・
