
今日で長男の1年1か月目になります。
最近やっとものに掴まらずに立つことを覚え始めました。大体8秒くらいの間は自然立ちします。
予定日より2か月早く生まれたので、育ちが少し遅いのですが、何のアレルギーもなく無事健康でもりもり育っていることが有難い限りです。
また、昨日は長女と駒沢公園へ毎年恒例の凧揚げに行きました。太陽の方向に風が吹いていたため、とても眩しく、しかも寒いっ。それでも子供はとても満足だったようでした。
長男が1歳、長女が5歳。月並みですが早いなーと感じます。
また、来月で私も38歳。これもまた早い。
テレビで2050年の自分というコンテンツが流れており、ふと考えると自分は2050年には75歳です。そんなおりにNHKで老人漂流社会という特集がやっていました。
私は寝たきりになるくらいなら早く死にたいと思っているのですが、番組の中で施設の人に「もしものとき”資金の続く限り延命治療”or”治療しない(≒死)”のどちらにするか?」の選択を突き付けられた寝たきりの75歳独り身の老人は「命のあるかぎりは治療を受けたいです」と答えていました。
本当かよ!?と思いながら、孤独で寝たきりの状態になったときに死を覚悟できるのか、幸せだからこそ死を覚悟できるのではないか、と思いました。
今この社会にかけているのは、死に向かう人間が死を覚悟する状況にあるのか、そういった仕組みが社会の中にあるのか、またそれは社会が提供するものではなく、自分の生き様であるべきなのかという問いも出てきます。
人間すべてが強くはありませんから、そうでない人に向けたサービスも必要ではないかと感じました。一昔前は38歳の自分など想像できませんでしたが、まだまだ自分は未熟さが抜けませんし40歳で不惑など夢のまた夢です。死についても遠い先のことのように思えます。
とはいうものの2050年まであと37年。肉体的には人生の折り返し地点なんだなーと感じた日でした。