"二律背反"という言葉が有る。
いま自分は、”都会”を離れて”田舎(地方都市の町はずれ)”に住んでいる。
何よりも特筆したいのは、隣の家まで何メートルか離れているので、気兼ねなく気に入った音楽を聴く際に音を大きくしても
大丈夫なところ。
これが”都会(家が密集或いは集合住宅)”だったらそうはいかない。当然、ヘッドホンを付けての鑑賞となる。
この点だけの比較なら、当然田舎に軍配が上がる。
それでは物価、特に食料品の価格だったらどうであろう。食料品と言っても色々あるが、農産物だったら当然産地に近い
”田舎”の方が廉価と想像できる。大体その通りである。
だったら”田舎”でいいではないか、となるが実際生活していると単純に同意できないところがある。
その土地の”人柄”或いは”気質”というものは、何人も否定的に捉えられないし、その地方の歴史でもある。
一方、”都会”だったらどうでしょう。会社勤めの関係で、止む無く”都会”生活を強いられていたが、考えてみると
随分ストレスの多い社会での生活であった。田舎生活はそこからの解放でもあった。
ところがである、地方には地方の濃い土着の風習というか、よそ者には大いなる敵対心というものがあるようだ。
色々な地方があるが、その傾向は一様かというと当然そうでもない。要はそれまでの歴史に左右される話だ。
そんなに詮索してもしょうがないが、かといって全くその土地に関わりなく生活するのも無理なことではある。
例えば、そこに住むということは、そこのインフラの利用にあづかることであり、行政にも時には病院にも
お世話になる。
何を言いたいかと考えたとき、いやもっといいたとえ話がないかと思ったとき、最近こんなことを思いついた。
それは、その国には東海岸と西海岸があり、その地方の違いが極端に言えば、真逆ということもある。
例えば、東海岸は歴史的にも出発点であり歴史文化が進んでいるといえる国がある。アメリカを例に出しても良いが
もっと分かりやすい国は、オーストラリアではないかと考える。私らが訪問するとやや違和感或いはよそ者扱いされ
「いやーっ田舎に来たなぁ」と感じるのが正直なところ。いま日本の田舎に住んでみて、やっぱりこれと同じ感じを
もつのを禁じ得ない。
今日のところはこの辺で・・・