私は1950年生まれの71歳で、農家の次男です。当然というか自然の流れで、都会に出てきて働き(雇われ)ました(都会というよりも、就職先の工場が都会にありました)。当時の半分以上の人たちはこのような境遇だと思います(平均兄弟数が3人だとすれば、2/3以上)。しかも、大概の人は最初の就職先から移っているか、転勤していますので、地域コミュニティには馴染めない状況にありました。三橋氏がよくおっしゃる『Anywhere』をやってゆく宿命にあります。

一方、長子として生まれた人は、その家を継いで(大概は農家)先祖伝来の土地を護っております。所謂、「根ざした場所」で生涯を送っております。しかも、護るべき土地(或いは、受け継いだ商店や工場)がある為、より保守的で地域のコミュニティと上手く付き合って、まあまあ楽しくやっています。こちらの方は『Somewhere』という分類でしょうか。

上記の具体例は、世界中の経済発展した国で興った現象だと思います。

これらの大まかに2つの違った境遇による社会形成の懸念される不安は、受け入れる側に合わせて特別問題なくやってきました。特に、言葉に関しては、その土地独特の方言も身に着け溶け込んでいるようにも思います。

しかしながら、最近頓に心配されている「外国からの移住者」問題は、上段で述べた状況よりもより深刻です。主な理由として、それまで培われた背景(言葉、考え方、常識)が違い過ぎるので、しかも大量にやってきたら、元々の土地に住む人たちが培ってきた伝統等というものが壊れて行くという心配がぬぐい切れません。