■日程: 2010年4月17日(日)15:00-18:00
■場所:構想日本(永田町)
■形式: 学生運営ディスカッション
■テーマ: 幸福の測定
■運営者: 平田麻莉、田中俊
■書記:宮原理夏
■参加者: 16名
 近藤、渡邉、宮原、大久保、辰沢、平田、中村、市原、高塚、田中、富樫、小林、
 山田、坪沼、神野、松尾
■先生: 不参加

■問題提起(平田さんより)
▽民主党による「幸福度」調査の構想
・2010/02/28に鳩山由紀夫首相が発表
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201002/2010022800155

▽幸福度調査の背景
・『新成長戦略(基本方針)~輝きのある日本へ~』
 2009年12月30日に閣議決定され、幸福度の測定にも言及(以下、引用)している
 「生活者が本質的に求めているのは『幸福度』(well‐being)の向上であり、
 それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の『幸福度』を
 表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う。」
 http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2009/1230sinseichousenryaku.pdf

▽内閣府の調査開始
・「内閣府は準備として全国4千人を対象に、子育てや雇用、治安の世代別満足度などに
 関するアンケートを実施。4月上旬に結果をまとめ、これを基に幸福度調査の詳細を
 組み立てる方針。成長戦略の具体策をまとめる6月までには調査にこぎ着けたい考えだ。」
 http://www.oita-press.co.jp/worldPolitics/2010/03/2010032201000316.html

▽国民の反応
・幸福度調査の実施については、賛否両論ある
・ライブドアニュース上のアンケートでは賛成73.4%、反対26.6%
 http://research.news.livedoor.com/r/41501
・衆議院議長による質問主意書とそれに対する鳩山首相の答弁
 http://www.incl.ne.jp/hase/seijikatudou3/shitumon/174202.html

▽海外における動き
・フランス
 サルコジ大統領が昨年9月に、GDPの計算方法を見直し、長期休暇や環境への貢献、
 医療の充実ぶりなどの「幸福度」の指標を加える考えを表明。
 ノーベル賞経済学者であるコロンビア大のスティグリッツ教授とハーバード大の
 セン教授らがまとめた報告書が基盤となっている。GDPが増えたとしても、格差や
 大気汚染が進み、本当に人々が幸福か図る尺度にはなっていないと指摘している。
・ブータン
 30年以上前からワンチュク国王がGNH(国民総幸福量)の向上を提唱
 cf.)GNHの概念
 http://focus.allabout.co.jp/contents/focus_closeup_c/worldnews/CU20071210A/index/#indi

▽そのほか参考
・幸福の定義
『幸福度研究の現状と課題-少子化との関連において』白石賢、白石小百合(2006/6)
 http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis170/e_dis165.html
・幸福測定の試み
『国民生活白書 消費者市民社会への展望-ゆとりと成熟した社会構築に向けて-』内閣府(平成20年)
 第3節 社会の主体としての消費者・生活者~幸福の探求
 http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/10_pdf/01_honpen/index.html
『World Value Survey』
 http://www.worldvaluessurvey.org
 ミシガン大学社会調査研究所(University of Michigan Institute for Social Research)が
 52か国・地域の35万人を対象に1981-2006年の26年間の「幸せ指数」の経年変化を追った

■議論
○内閣府による「幸福の測定」に賛成? -賛成7名、反対4名

○自分自身が今、幸福かどうか?
・疲労感があると幸福かどうかわからない
 →心身ともに健康であることが幸福
・おおむね幸福。就職活動において自分がタッチし得ないところで将来が決まる不安がある。
 →自己で決定できる範囲があることが幸福
・自分の気持ちに余裕がないと幸福かどうかは量れない
 →自己を振り返る余裕があるかどうかが幸福
・幸福=自由であること、孤独でないこと、のバランスが自分にマッチしている状態
 (自由と繋がりは、トレードオフの関係)
・時間軸によって幸福の尺度は異なる
 └短期的な幸福(おいしいものを食べるとき、寝る直前など)
 └長期的な幸福(積み重ねてやり遂げる達成感など)
・自分でコントロールできることと、他者が自分を受容してくれた上で自らは自由であること、
 の2つとも満たされているとき、幸福と感じる。
・他者からの評価により自分の幸福を自覚する。
・自分の好きなコミュニティへの所属=幸福
 (そのコミュニティ自体が他者から高い評価を得ており、自分の満足感を満たしてくれるとき)
・自分の周りの人、家族が幸福であること=自分の幸福(自分だけでは幸福は成立しない)。
・自分自身が好ましいと思う状態、ポジティブに評価できること=幸福
 (同じものを見たり経験しても、人によって評価は異なる)
・小さい子供と遊ぶ=自分の尊厳が認められていること=幸福

○皆の意見は定性的なものが多い→これを指標で図ろうとするとどうなる?
・健康状態 -寿命、自殺率
・アンケート -満足度、「幸せですか?」
・衣食住、福祉(年金)、雇用が守られているかどうか

○「満足度」と「幸福度」は異なるのではないか?
・満足=一定レベルを超えれば満足、幸福=満足を超えたその先に感じるもの
・食欲を満たしておなか一杯になれば満足、おいしければ幸福。
・満足していなくても、幸福なときはある。満足を物理的とすれば、幸福は精神的で、一致しない。
・「幸福」の中に「満足」が含まれる?or 「幸福」と「満足」は一部の重なりだけではないか。

○尺度を設定する上で、「満足度」と「幸福度」の区別にこだわる必要があるか?
・政府が政策を検討または評価する際に、目標設定指標や評価指標として使うために今回
 「幸福度」が掲げられた。GDPではもはや対応できない。
 (環境資源や人口減少による経済成長の限界、低成長からの逃げという側面と
 そもそも経済成長のみを目指すことが本質ではないと人々が気付くようになったという側面の両方)

○幸福度を指標とすることの是非
・そもそも幸福や満足は図りづらいもの。
・本来は議員が地域密着で国民の不満を吸い上げて政策に反映すべきで、画一的な指標に頼ると怖い
 →指標を作ることよりも、政策への不平不満を伝えやすい仕組みづくりが必要
・幸福感は時代によって変わりやすく、地域によっても違う
・「幸福」というネーミングを工夫した方がよい。GDPもかつては幸福指標の一つだったはずだが
 時代に合わなくなっただけ。今の尺度になりうるものを設定し、測ればよい。
・幸福を妨げること(ネガティブ要因)についての調査はあるのか?
・幸福度調査は、今の時代を考える一つのきっかけになるはずで、
 国民の志向やニーズ把握のため、その時代の「状態」を考えるために調査することについては賛成
 →それを何に使うかどうかが重要。

○漠然とした「不幸感」
・海外と比較しても、経済成長はそこそこできている
 生活水準、福祉レベルもわりあい高い
 →それなのに、なんとなく不幸に感じるのはなぜ?

○自殺に対する調査結果(ライフリンク)を踏まえ、「幸福」を考える
・社会の経済成長は個人の幸福を測れない(うつの増加、自殺の増加)
・「無縁社会」における直葬(誰も遺骨を引き取らない)の増加
 →NHKスペシャルによると全国で32000人いるという

○政府になにを求めるか?
・直葬率を下げることを求めるのか?
・「新しい公共」を考える。例えば、平均年収300万円前半の地域で、
 元気で楽しく生活している人がいる。
・がんばればやれる。がんばれ!と言ってくれる人が必要。それは政府では担えない。
・官でも民でもすでに様々な活動はある。しかし本当に困っている人は家から出ないし、
 そのサポートにあやかれない。そういった人をどうする(救う?)べきか?
・犯罪者はいろいろな「縁」からすり抜けてしまった(孤独)人が多い。
 でも周りには誰かしら人がいるはず。周りが気付かないのか、本人が気付かせないのか。
 そういう人を強制的に「縁」に組み込むことは難しい
・そもそも、そういう「縁から外れた」人を助けないといけないのか?
 一歩踏み出すのは本人の意思。
 支えてあげる仕組みでなく、本人が一歩踏み出すためのきっかけ作りが必要。

○縁(つながり)への帰属の必要性
・一歩踏み出せる人間を育てるにはどうすればよいのか?
 自分たちも含め、「支配される」ための教育を受けてきた。だから踏み出せない。
・支配されるということは、帰属するということと近いかもしれない。
 戦時中など権力が明確で支配されていればそれはそれでまわっていくが、
 今は誰に支配されているかもわからない(黒幕が不明)。見失ってしまう。
 何に帰属しているかわからないことが、幸福を見失っている原因なのでは?
・これから新しい黒幕を求めるのではなくて(何かに支配されるのでなくて)、
 自分自身に取り戻すことが必要なのでは。
・幸福の尺度を個人に任せる(放任)ことは危険。中東の場合は、宗教(神)に帰属している。
 自分より大きいものを頼るのは悪いことではない。ある意味、支配(帰属)は必要。
・支配されることに慣れてしまうこと=「家畜化」は問題だが、帰属は必要。
 どういう縁に入るのか、作るのかを自分で選択して決めれば良いのでは。
・夏目漱石「個人主義」⇔「則天去私」
・現代の「個人主義」は、自ら選んだというより、社会の変化(自分の意志ではなく社会の意志)や
 流動性によって、個人主義にならざるを得なかったのではないか。
・社縁、地縁は時代の流れでなくなっているかもしれないが、自ら縁をつぶしていく流れもある。
 忘年会を嫌がる、お見合いオバサンを避ける、ムラ社会を面倒くさがる、など
・小さなコミュニティは距離感が近いために手間がかかり、硬直化する
 公共政策としてスモールコミュニティをつくるのは難しい

○縁や帰属をどうデザインするか?
・かつては必要に迫られてコミュニティを作っていたのではないか。家屋の維持や農作業のためなど。
 山形や福島で聞いた話では、東京オリンピックを契機にコミュニティのあり方が変わった。
 東京への出稼ぎが増え、現金を得るようになると、それを期に田舎から都心へ人が流れ、
 コミュニティに対する考え方が変わった。また、流動性によってできた東京は縁がなくなった。
・誰かが意図的にコミュニティを作るべきか?あるタイミングで硬直化しないように壊すことも必要か?
・コミュニティの最小単位を家族とすると、それ自体は壊す必要はない。
・強制された結婚でも、覚悟を決めれば悪くない。「自由な選択肢」による弊害。
 行き場を自分でデザインできない。
・自殺の要因はひとつでなく本人にしかわからない。昔は「そういうものだ」が共通意識として
 あったので例えば自殺しなくてもすんだ。今は個々人の判断。
 個人レベルの幸福の尺度と社会レベルの幸福の尺度は異なる。

○今日確認できたこと
・GDPや経済成長だけでは「社会の」幸福は維持できなくなってきたようだ
・縁(他者とのつながり)と自由のバランス(トレードオフ)は、幸福の構成要素の一つ

○おわりに-「社会の」幸福デザイン ※一人ひとりの感想
(誰が担う?縁をデザインするとしたら適正規模は?半ば強制的に与えるor個々人に選択させる?)
・合理性(役に立つか立たないか)から離れること
・地域のおばちゃんが様子を伺いにいくような社会、相互に関心を持つ
・collegeの語源は寮。強制的に生活を共にすることで強い繋がりができる
 全寮制の大学は日本にはない。大学を全寮制にしてはどうか?
・「孤独」を遠ざけず(ネガティブにならず)受け入れることも必要
 アラビア語で、神=豊か=何も必要としない
 つながりを必要以上に求めすぎないことも大切ではないか
・体を動かすことで交感神経と副交感神経のバランスがとれる
 デイトレのようにワンクリックで稼ぐのではなく身を粉にして働くことで幸福感につながる
・政府の役割は、幸福を妨げるネガティブ要因の改善をすること
・政府として目標(GDPなど)を掲げるより、巨大な縁を作ることで幸福度は上がるのではないか
 時代が幸福度を作ることを要請している、それによって新たな目標が生まれるのではないか
・つながりの質を高めることをやっていくべき
 mixiなどのように簡単につながれると、簡単に切れてしまう
 迷惑をかけてもかけられてもつながっていく縁を深める
 基本的には親から子への伝承なので、親世代への教育が必要
・「あえて留まる主義」
 流動性の高まりが問題→「自分ごと(思い入れ、主体性)」から離れていく。
 「公共物のつまみ食い」になってしまう。
 あえてその土地にとどまる、という一貫性から人に伝わるものがあるのでは。
・日本人の選択肢は狭い。社会人が目的のない旅を1年してもいい。選択肢の幅を拡げること。
・幸福を求めるより、ネガティブ要因を分析して対策を考えるのが現実的。
 たとえば、自殺率を30%改善したフィンランドなど。マクロ的には政府の役割。
・家族の縁を支えられずに地域の縁を支えることはできない。身近な縁を大切にする。
・直接(生身の人間がぶつかり合うこと)のつながりが縁を深める。教えるのは家族。
 家族になんらかの問題がある場合、それを支えるのは国の支援。
 保育所の整備など家族をつなげられる道を提供する。
・政府にできるのはネガティブ要因を改善するための仕組み作り
 問題の因果関係を一つ一つ突き詰めて、規制なり支援なりで改善していくしかない
 失業やワーキングプア→企業の雇用規制を変えるorセーフティネットを作る
 孤独→結婚できる環境整備→給与格差の解消(生活不安払拭)、婚活支援

○ラップアップ
・自主ゼミのアウトプットは2つある
 一つは、個々人が明日からの自分の生活や行動を変えること
 もう一つは、社会全体としてどうあるべきかの視点を持つこと
・問題を解決するということは、理想と現実のギャップを埋めること
 理想を言うだけなら簡単だが、ギャップを埋める手法を具体的に考えることは難しい
 自主ゼミの議論をきっかけに、普段の生活でも考え続けて欲しい

■次回について
・6月20日(日)15:00-18:00@構想日本
・運営者:市原、高塚
・書記:富樫