■日程: 2010年8月21日(土)
■場所:構想日本(永田町)
■テーマ: 高齢化社会(介護保険を切り口に)
■運営者: 宮原、渡邊
■書記:市原
■参加者:7名
 宮原、渡邊、三井、近藤、坪沼、神野、市原

■問題提起
宮原さんのメールより。
> 『たまにはじっくり高齢化社会を考えてみよう!』
>
> ▼議論のGOAL 
> 政策提案
>
> ▼キーワード
> ◎バリアフリー
> ◎自立して生活するための必要要素
> ◎介護保険制度
>
> ▼補足
> 「年金もらえるかどうかわかんないし、うちの会社、
> 30年後もあるかなぁ(退職金大丈夫)?」なんて
> ボケボケしてたら定年なんてあっという間です(きっと)!
> (学生の方はそんな実感ないと思いますが。。。)
>
> 親の介護、私たちの税負担(増)&老後の生活、
> 子供たち世代の生活保護。。
> 今も将来も自分の生活に直結する問題だからこそ、
> 「最期まで楽しく生活する」ために必要な要素を本気で考えてみましょう!


■参考情報
介護保険制度の現状と今後の役割(厚生労働省HP)
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/gaiyo/hoken.html

■イントロダクション
▽70歳の自分はどんな生活を送っていたいか?

想定:親が生きていたら介護が必要
   70歳の自分はそんなに働けくことはできない。
   

・90歳の祖父母夫婦、自分たちでなんでもやってしまう。
 けれども「精神面での幸せ」も必要になってくる? いままで強かった人も、弱音を吐くようになったり。
 →友人、地域とのつながりなど持っているようにしたい。

・いろんなところに旅行したい。孫をかわいがりたい
・勤め先の会社では、定年後の充実やワークアンドライフバランスが言われている。
・仕事をするしないにかかわらず、経済的自立をしていたい。
・健康第一
・目標を持ち続ける。
・定年は必要?→技術の継承のためには長く働くほうが良い。
・企業側が雇用し続けられないという面があるのでは。本当に働きたいと思っている人は定年後も
 違う形で働いてる。
・定年後も働くことが出来るかどうかは、定年の時点でどれだけスキルや技能のをもっているか。

■介護保険制度
国の負担を減らすはずのものが、逆に増えてしまっている。民間の参入はあっても
ビジネスとして成立していない現状をどう考えるか。

▽参考情報1
介護保険制度の現状と今後の役割(厚生労働省HP)
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/gaiyo/hoken.html

年金や介護保険制度は必要か?
・ないと生活が立ち行かなくなるのでは
・低所得者層のことを考えると必要では?
・徴収の仕方は「税金」の方がふさわしい。
・「本当に必要な人」にだけサービスを提供することが出来ればよいのでは。
・自立不可能な人を救うためにどの程度国民で負担するのが適切か?
・介護保険の現状1割負担はサービスとして考えると十分厚いのではないか。
・いっそのこと撤廃すれば、個人で考えられるようになるかも

▽参考情報2
夢のみずうみ村 山口県防府市のデイサービスセンター
http://www.yumenomizuumi.com/about/peculiarity.html
特徴として施設には段差、坂、階段等日常で遭遇する可能性のあるバリアを意図的に配置。
また村内通貨「YUME(ユーメ)」がある。各プログラムに参加する時はユーメを支払い、
逆にリハビリやカジノ、見学者の案内や内職等でユーメを稼ぐことができる。


・自分が何かを与えられる一方ではなく、他の人に何かを
 与えるということが、生きがいになる。
・要介護度が軽くなる程、介護報酬が減るという矛盾、制度上の問題。
・実社会の中で、高齢者をもっと活用してもよいのでは?
・一方で、何でもやってもらえるほうがいい人達もいるのでは?
・高齢者だけが集まっている状態が異常(施設に隔離されている)
・階段や段差などのバリアが世代を超えた自然な繋がり(階段を下りるのを手伝う等)をつくるのでは。

■介護を受けなくてもいい人を増やすにはどうしたらいいか?
・農業などを続けている高齢者は元気。
・高齢者の労働を促進(居場所、出番を作る)
・都会では高齢者の受け口が少ない。
・第一次産業が主である地域は、年金・介護の問題があまりない。
 収入についても所得は少ないが、消費自体もすくないからさほど問題にならない。
・行政の施策として支援パッケージは用意されている。大切なのはビジョンを持って生きてく(どう生きたいか)
・運動をしないと罰金(頼りすぎるからだめなのでは)自力で動いたほうが経済コストも下がる+エコ
・高齢者にふさわしいポジションを用意する。 育成に貢献することで社会に還元する。
 第一線を退く”引き際”を高齢者が自分自身で判断する。(退職するとか育成に回る等)
・ラジオ体操義務化(毎日、定期的に場をもつ)
・何かあった時の支えとなる関係を築く。セキュアベースの存在の必要性
・企業を出た後の受け口を社会的に用意できないか
■日程:2010年6月20日(日)15:00-18:00
■場所:構想日本(永田町)
■形式:学生運営ディスカッション
■テーマ: 我々は首相に何を求めるのか
■運営者: 小林周、市川
■書記:冨樫悠
■参加者: 13名
 小林、市川、カミムラ(fromチュニジア!)、田中、オオサワ、シゲノ、渡邉、岩崎、宮原、辰澤、山田、平田、冨樫(順不同)
■先生: 参加

■問題提起(周くん)
•ワールドカップの試合で日本はオランダに負けてしまったが、「サッカーの監督-選手」の関係と、「首相-国民」の関係はどう違うだろうか。

◇首相が代わったことで、身の回りの生活に何か変化はあったか?

•Twitterで鳩山さんに続けてほしかったという論調が多かった。首相が頻繁に変わっても仕方がないということに国民が気づき始めたのではないだろうか。
•変わっていない。辞めたという号外が配られていても誰も気にしなかった。
•変わっていない。首相が代わっただけなのに、支持率が回復したのは不思議だ。
•支持率回復はおもしろい。自民党のときは首相が交代してもどんどん下がっていた。菅さんに対しては良い印象を抱いている。
•枝野さんに期待を持っている人は多い。蓮舫さんが内閣入りしたことについては、人によって意見は違うが、女性は支持している。内閣の年齢が若返った印象がある。以前支持率の調査業務をしていたが、限られたもの。調査対象が限られているので、違う調査のやり方を考えないと、全く参考にならない。
•変わらない。支持率が変わったのは当然。参院選にどうつながっていくか、今後どうなるかを見ていきたい。
•個人的に身の回りで変わったことはない。自治体を相手に仕事をしているが、首相がすぐ代わることに対し、現場では冷めた感じがある。
•こども手当てが話題になる。海外メディアは首相交代に対し皮肉を込め報道していた。
•美容院に行った際に、美容師と首相交代について話した。普段、首相が代わるとき以外に政治の話をしない。授業では、官僚とのつきあいが変わるのではないかという話があった。
•首相交代により大臣も代わるが、頻繁に交代があるため官僚もそれに慣れている。
•特に何が変わるということはない。支持率調査の仕方に疑問があるというのは気になった。メディアは発表する内容を決めていて、それに合わせてデータを持ってきているのではないか。

◇菅首相に期待していることはあるか?

•期待値コントロールをしたほうがいいだろうと思っている。就任したとき期待値を上げすぎてしまうために、問題にぶつかり試行錯誤していると、国民は裏切られたと感じてしまう。過度な期待をさせないようにしてほしい。
•無理して発言してほしくない。できないことはできると言うべきではない。
•バランス感覚が必要だと思う。国民の意見と一国の首相としての意見、また短期的な視野と長期的な視野といった複数の視点を持ってほしい。
•何かを決めて実行してほしい。決断すると批判も議論も出るが、トップとして決断し国民を連れて行ってほしい。
•短くても3年は続けてほしい。
•ビジョン。理念、理想。どんな言葉でもよい。友愛は曖昧すぎる。
•政治の中身の話をしてほしい。また、政治が我々に対し何をしてくれるかがわからないので、政治を信頼できるようになるきっかけがほしい。
•アイドルになってほしくない。首相はタレントでもないし芸能人でもない。
•長く続けてほしい。そのためにも参院選をうまくまとめてほしい。どこの党が政権をとっても官僚をうまく操れるようになってほしい。
•参院選に興味がある。首相交代によって支持率がV字回復したが、もし民主党が参院選で成功すれば、看板を代えることが有効な方法として認識される
•継続し、やることをやって結果を出してほしい。最近の何年間は短期的な批判、どうでもいいことに終始している。ちゃんと仕事をしてほしい。
菅さん個人に対する意見というよりも、首相や政治に対する意見が多いようだ。我々は首相というものを政治の代表者だと考えている。首相と我々の関係をもう少し見てもよいのではないだろうか。
•鳩山さんは普天間問題に対処できなくなり、支持率も急落した。支持率は見るべきものだが断面的であり表層的である。支持率とどう向き合うべきだろうか。

◇首相が代わらなかったほうがよかったと思うか?

○代わらないほうがよかった
•国民は首相を選べない。しかし、粗が見えてきたからこの首相はだめだと考えると、それは我々の問題にもなる。とりあえず首相の首を変えればよいと考えるのは貧困な思想である。長期政権で体制を変えるとか、そういうことをしていかなければいけない。
•一定期間コミットしてやってみるというのが必要ではないだろうか。
•鳩山さんだけの内閣ではない。
•いろいろなことをやろうとしていた矢先に邪魔されているような印象を受けた。もう少し待ってもよかったのではないだろうか。
•できなかったからやめます、という姿勢に疑問を感じる。
•新しい公共や、彼の興味関心のあり方がおもしろいと思っていた。辞任の仕方が自民党に似ていたし、これでは誰が首相になっても変わらないという意見を国民が持ってしまう。
•辞任理由の一つに、普天間問題による支持率低下があった。岡田監督もワールドカップに行く直前は支持率が低かった。しかし、いま彼に辞任を求める人は誰もいない。支持率はその程度のものでしかない。普天間の問題は菅さんでも解決できないかもしれない。そうなると、首相をころころ変えたという話にしかならない。代わらなくてもよかったのではないか。
•続けるべきだった。死ぬまでやればよかった。責任の取り方が軽い。やめることで責任をとるという選択肢はそもそもない。沖縄県民の怒りもわかる。発言に実行力を持たせてほしい。

○代わってよかった
•鳩山さんは支持率に踊らされ、支持率低下とともにどんどん弱くなっていた。
•内閣にサポート役がいなかった。一つの政党にツートップ。二人で一緒に辞任していってよかった。
•おぼっちゃん首相は必要ない。鳩山さんは思い込みがはげしくてつめが甘いという印象があった。どれだけの人を巻き込んで問題を解決できるかということが首相には必要である。鳩山さんは責任感は強いが、取り組む体制を作ることができなかった。

○その他
•民主党のマニフェストには最低限でも県外とは書いていなかった。ただ、鳩山さんは去年の選挙で最低でも県外という発言をした。当時の代表を総理大臣にしてしまった民主党が問われるべきなのか、それとも彼本人が問われるべきなのかというのが論点である。個人が党の意見と違うことを言ったときにどう対処すべきなのだろうか。

■議論の切り口
•いま「変わってよかったかどうか」と問うこと自体が支持率的な考えに左右されている。二人の人物に1年ずつ首相をやらせて、後からどうだったかということなら聞くことができる。
•先ほど日米関係が悪くなったという発言があったが、本当か。いつの時点で何がどう悪くなったのか、それを誰がどう確認したのか。日本のメディアが騒いでいるだけだ。仮にそれを米メディアが言っているとして、それは日米関係のどこの部分なのか。日本がばかな為政者を輩出していることがアメリカにとってはよいことかもしれない。
•支持率等、評判が悪くなることを恐れるのは個人の小さいプライドの話である。気にしなければよい、というくらいの腹のすえ方が必要である。それが議論する側にも求められるのではないか。
•鳩山総理を選んだのは誰か。程度の差はあっても、首相が変わったときは支持率が上がる。民主党が自民党と違うのは、選挙があり国民が民主党を支持したということ。首相そのものを我々は選べない。その仕組みを含め、我々は民主党を選んだ。それならば仕組みを変えるのかという話もある。国民は直接国のトップを選ぶのか。舛添さんがなるか田中真紀子さんがなるか石原さんがなるか東国原さんがなるか。日本というのはそれくらいいい加減な国。
•日本人の多くが支持した民主党が書いたマニフェスト。どれだけの人があれを読んだか。そもそも、誰が書いたのか。仙石さんも枝野さんもマニフェストの内容について議論した記憶はないといっている。

選挙を問う、首相を問う、マニフェストを問う、代表をどうやって民主党の中で選んだのか。党の政策形成力、マスメディアの報道の仕方、支持率、それが彼らに戻っていって行動を左右するあり方。切り口は様々なので、ある程度整理するか焦点をしぼる必要がある。

■首相に対する国民の責任
•鳩山さんや民主党を選んだのは誰か。それは我々であり、国民の過半数である。首相の役割や選ばれる過程を考えると、政治的な話だし、国民とは遠い。国民のリテラシーが焦点になってくる。
•首相を直接選べないが、党を選んだことについてはコミットするべき。メディアリテラシーという意味でもそうだし、メディアにどう影響を与えるかという意味でもそう。自分たちにできることは何か。
•国民にこの国のトップを選ぶだけの度量と先見性はあるのか。きわめて怪しい。
•なぜ我々が直接首相を選べないのかという意見は国民にはないだろう。しかし、首相を批判している。それが自分たちの行動とつながっていることは忘れてしまっている。
•メディアは視聴者が喜ぶような報道をする。
•政治的なリテラシーを国民全員が持つべきだろうか。物質的な理由で投票できない人もいるかもしれない。しかし、日本はそういう人にも一票を与えている。首相や政治というところではなく、我々に視線をおろしたときに、この問題にどう向き合えばよいのだろうか。
•八百屋のおじさんおばさんにちゃんとした判断ができないのか。反対に、慶應や東大の先生にちゃんとした判断ができるのか。政治との関係において我々には何が求められていて何をしなければいけないのか。我々は、間接的には総理を決めている。小泉さんを選んだのも我々だ。
•民主主義の前提は国民が正しい判断をできるということだろう。しかし、本当に国民は正しい判断ができるのか。啓蒙していくというやりかたもあるだろうし、国民は正しい判断ができないとあきらめてしまうのも選択の一つである。
•首相が下した判断に国民が従えばいいのではないか。決まったことはやればいい。総意にもとづき政治を行っていたら日本が地図から消えてしまったというのもありだと思う。市民と市民じゃない人を作るという方法もある。正しい判断かどうかは後にならないとわからない。
•正しい判断の基準は何か。政治は最大公約数でしかない。引っかかる人を多く、こぼれてしまう人を少なくというのが政治のあり方だと思っている。
•チュニジアは経済的な水準も日本より下だし、大統領の独裁下にある。国民は馬鹿。しかし国民にアンケートをとると幸せであるという答えが返ってくる。チュニジアに住みたいとは思わない。しかし、帰国後にテレビを見ても暗いニュースしかやっていないし、くだらない番組しかやっていない。国民全体を見ても納得して動いている人が少ない。納得して従うか、政治の仕組みを変えるかということを考えるべきである。
•間接的にではあるが首相を選んだことを国民はうっかり忘れている。国民が自分の選択に責任をとっていない。
•うっかりではなく、しっかり忘れているのではないか。
•言ってもしょうがないことと、言ってどうにかなることもある。言ってどうにかなることを勉強したほうがいいのではないか。
•政治家が誰もが望むことをやればいいかというとそういうわけではない。首相に選ばれたときに投票者が期待したことと、首相自身が考えることは普通一致しない。その折り合いをどうやってつけて何をすべきか。マスメディアはそれをどう解説するか。選ぶ人と選ばれる人をどう組み合わせるか。それを整理しないと雑談に終わる。鳩山さんも菅さんも雑談以外のことをしてないのではないか。

•日米関係が悪化したというのは典型的な知識人の意見。しかし本当にそれは正しいのか。別の例を出すと、日本は資源が無い国だとも言われるが、資源とは何か。日本にエリートはほとんどいない。
•仮に国民の8割ができない人だとすると、その8割は意外と大きい。
人は小さなことで何かに対するイメージを作ってしまう。政治家はポジティブなほうに国民を導く力が足りない。

■首相と国民
•事実は事実としておさえるべきである。どうあるべきかというのは最終的には人の価値観の話。首相が、みんなが嫌がることを実行するという判断ができるかどうか。
•政治家が世の中をどう持っていくか。そのことと、我々がその主張を支持するかしないかというのは別である。

■思いと現実
•鳩山さんは沖縄の問題を何とかしたいと思った。しかし彼は、過去10年間いろいろな可能性を潰してきて、結局普天間しかないということになったことを知らなかった。知らないなら発言しなければよい。あるいは、思いがあって現実を知らなかった。現実を知り、それを今後10年かけてやっていこうという方向に行くのか、“知りませんでした、すみませんでした”となってしまうか。鳩山さんはすごく中途半端。
•庶民は何をするのか。大学はいつまで経っても何も変わらない。思いはあるけど現実を知らないから。

■我々の社会的責任
•ここにいる十数人は八百屋のおじさんおばさんとは違うレベルかもしれない。ならば、沖縄問題がどうなってきたか、今の方法以外は無理そうだという事実、国債のリスクのボリューム感は知っておくべきである。もう一つは、自分の価値観をある程度は持っておくべきである。
•マスメディアは本当にレベルが低い。科学技術というとその定義をせず中身も見ずに、ありがたいものだという。しかし不正確なものが山ほどあるので、鵜呑みにしてはいけない。京大の山中さんが何かを発見したからといって、それだけでは何もできない。山崎さんが何をしたのか、はやぶさはどんな成果があったのか。常に情報の選択と、選択できるだけの思考能力を鍛えておく必要がある。それが社会的責任のレベル。

■理念実現と権力闘争
•本来の政治とは、政治家の理念実現の部分と実現するための権力闘争と両方ある。すなわち、理念を持ち腕力も必要になる。腕力はとにかく強かったのが小泉さんで、彼の理念はゼロ。というか関心がゼロだった。だから腕力に集中できた。小沢さんもそれに似ている。理念的なものは持っているが、腕力の人。阿部さんや鳩山さんは友愛や美しい何とか等、ほわーっとした理念はあるが、具体的なものを問うと空白になる。そして実際は、美しさを打ち消すようなことばかり打ち出していた。理念とその具体的な中身、そしてその全体を実現するだけのパワーなり腕力がセットでないとリーダーというのは勤まらない。塩崎さんは、パワーも理念もなく、部品の設計書ばかり知っている。二世の中にはそのような人物が多い。権力は一人で行使できない。小泉さんはパワーがあったが、総理にならなかったら何もできなかった。偶然総理になって、いくつもの闘争に勝っていった。権力とは、このときにどの道具が使えるか、本当に暴力装置を持っている人もいるし、役人を使うのがうまい人もいる。今日は主に選ぶ側、資質、選ばれる人、間にいるメディアの話だった。

■最後に

◇議論をして何を感じたか?
•政治についてもっと勉強したいと思った。
•支持率にこだわるわけではないが、今度の参院選挙は支持率を注視していたい。民主党が伸びないときのほうがおもしろいと感じるかもしれない。
•八百屋のおじさんおばさんに対して、違うアプローチがあると思う。
•またぜひ参加したい。
•国や知識人が正しいということを疑う機会がほとんどない。そもそも論を考える機会が今の政治にはあまりないのかもしれない。
•先生のメッセージを再確認できてよかった。自分の思考能力を研磨すべきで、ひたすら情報を入れればいいわけではない。こういう場は研磨する場になっている。どうしても議論が抽象的にもなってしまうし、形として残していきたい。
•難しいテーマだったと思う。そもそもなんだろうというところも明確になっていない。議院内閣制という仕組みのあり方を考えてもよかったのかも。仕事で小泉内閣の郵政選挙のときに世論調査をやっていた。メディアにとって選挙は金になる。
•考えているつもりで考えていないということがある。この先自分たちがどう行動していくか。マスコミや政治に対して何ができるか。
•誰かにとっての解決が、他の誰かにとっては解決にならないような問題は、ずっと答えが出ないのではないだろうか。
•自分に何ができるのかということを考えたいと思っている。批判するのは簡単だが、批判して何もならないなら意味はない。変えていくことで自分にとってもリターンがあればいいと思っている。みんなが前向きになれるといい。
•政治の勉強が足りないと痛感した。次回の選挙に備えて勉強し、政治家が何を目指すか把握しようと思った。前回の選挙では投票者がイメージに流されていた。政治家の中身を見てみたい。

■次回自主ゼミの予定
•日時:8月21日(土)15:00-18:00
•場所:構想日本
•運営者:宮原、渡邉
•書記:市川
■日程: 2010年4月17日(日)15:00-18:00
■場所:構想日本(永田町)
■形式: 学生運営ディスカッション
■テーマ: 幸福の測定
■運営者: 平田麻莉、田中俊
■書記:宮原理夏
■参加者: 16名
 近藤、渡邉、宮原、大久保、辰沢、平田、中村、市原、高塚、田中、富樫、小林、
 山田、坪沼、神野、松尾
■先生: 不参加

■問題提起(平田さんより)
▽民主党による「幸福度」調査の構想
・2010/02/28に鳩山由紀夫首相が発表
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201002/2010022800155

▽幸福度調査の背景
・『新成長戦略(基本方針)~輝きのある日本へ~』
 2009年12月30日に閣議決定され、幸福度の測定にも言及(以下、引用)している
 「生活者が本質的に求めているのは『幸福度』(well‐being)の向上であり、
 それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の『幸福度』を
 表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う。」
 http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2009/1230sinseichousenryaku.pdf

▽内閣府の調査開始
・「内閣府は準備として全国4千人を対象に、子育てや雇用、治安の世代別満足度などに
 関するアンケートを実施。4月上旬に結果をまとめ、これを基に幸福度調査の詳細を
 組み立てる方針。成長戦略の具体策をまとめる6月までには調査にこぎ着けたい考えだ。」
 http://www.oita-press.co.jp/worldPolitics/2010/03/2010032201000316.html

▽国民の反応
・幸福度調査の実施については、賛否両論ある
・ライブドアニュース上のアンケートでは賛成73.4%、反対26.6%
 http://research.news.livedoor.com/r/41501
・衆議院議長による質問主意書とそれに対する鳩山首相の答弁
 http://www.incl.ne.jp/hase/seijikatudou3/shitumon/174202.html

▽海外における動き
・フランス
 サルコジ大統領が昨年9月に、GDPの計算方法を見直し、長期休暇や環境への貢献、
 医療の充実ぶりなどの「幸福度」の指標を加える考えを表明。
 ノーベル賞経済学者であるコロンビア大のスティグリッツ教授とハーバード大の
 セン教授らがまとめた報告書が基盤となっている。GDPが増えたとしても、格差や
 大気汚染が進み、本当に人々が幸福か図る尺度にはなっていないと指摘している。
・ブータン
 30年以上前からワンチュク国王がGNH(国民総幸福量)の向上を提唱
 cf.)GNHの概念
 http://focus.allabout.co.jp/contents/focus_closeup_c/worldnews/CU20071210A/index/#indi

▽そのほか参考
・幸福の定義
『幸福度研究の現状と課題-少子化との関連において』白石賢、白石小百合(2006/6)
 http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis170/e_dis165.html
・幸福測定の試み
『国民生活白書 消費者市民社会への展望-ゆとりと成熟した社会構築に向けて-』内閣府(平成20年)
 第3節 社会の主体としての消費者・生活者~幸福の探求
 http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/10_pdf/01_honpen/index.html
『World Value Survey』
 http://www.worldvaluessurvey.org
 ミシガン大学社会調査研究所(University of Michigan Institute for Social Research)が
 52か国・地域の35万人を対象に1981-2006年の26年間の「幸せ指数」の経年変化を追った

■議論
○内閣府による「幸福の測定」に賛成? -賛成7名、反対4名

○自分自身が今、幸福かどうか?
・疲労感があると幸福かどうかわからない
 →心身ともに健康であることが幸福
・おおむね幸福。就職活動において自分がタッチし得ないところで将来が決まる不安がある。
 →自己で決定できる範囲があることが幸福
・自分の気持ちに余裕がないと幸福かどうかは量れない
 →自己を振り返る余裕があるかどうかが幸福
・幸福=自由であること、孤独でないこと、のバランスが自分にマッチしている状態
 (自由と繋がりは、トレードオフの関係)
・時間軸によって幸福の尺度は異なる
 └短期的な幸福(おいしいものを食べるとき、寝る直前など)
 └長期的な幸福(積み重ねてやり遂げる達成感など)
・自分でコントロールできることと、他者が自分を受容してくれた上で自らは自由であること、
 の2つとも満たされているとき、幸福と感じる。
・他者からの評価により自分の幸福を自覚する。
・自分の好きなコミュニティへの所属=幸福
 (そのコミュニティ自体が他者から高い評価を得ており、自分の満足感を満たしてくれるとき)
・自分の周りの人、家族が幸福であること=自分の幸福(自分だけでは幸福は成立しない)。
・自分自身が好ましいと思う状態、ポジティブに評価できること=幸福
 (同じものを見たり経験しても、人によって評価は異なる)
・小さい子供と遊ぶ=自分の尊厳が認められていること=幸福

○皆の意見は定性的なものが多い→これを指標で図ろうとするとどうなる?
・健康状態 -寿命、自殺率
・アンケート -満足度、「幸せですか?」
・衣食住、福祉(年金)、雇用が守られているかどうか

○「満足度」と「幸福度」は異なるのではないか?
・満足=一定レベルを超えれば満足、幸福=満足を超えたその先に感じるもの
・食欲を満たしておなか一杯になれば満足、おいしければ幸福。
・満足していなくても、幸福なときはある。満足を物理的とすれば、幸福は精神的で、一致しない。
・「幸福」の中に「満足」が含まれる?or 「幸福」と「満足」は一部の重なりだけではないか。

○尺度を設定する上で、「満足度」と「幸福度」の区別にこだわる必要があるか?
・政府が政策を検討または評価する際に、目標設定指標や評価指標として使うために今回
 「幸福度」が掲げられた。GDPではもはや対応できない。
 (環境資源や人口減少による経済成長の限界、低成長からの逃げという側面と
 そもそも経済成長のみを目指すことが本質ではないと人々が気付くようになったという側面の両方)

○幸福度を指標とすることの是非
・そもそも幸福や満足は図りづらいもの。
・本来は議員が地域密着で国民の不満を吸い上げて政策に反映すべきで、画一的な指標に頼ると怖い
 →指標を作ることよりも、政策への不平不満を伝えやすい仕組みづくりが必要
・幸福感は時代によって変わりやすく、地域によっても違う
・「幸福」というネーミングを工夫した方がよい。GDPもかつては幸福指標の一つだったはずだが
 時代に合わなくなっただけ。今の尺度になりうるものを設定し、測ればよい。
・幸福を妨げること(ネガティブ要因)についての調査はあるのか?
・幸福度調査は、今の時代を考える一つのきっかけになるはずで、
 国民の志向やニーズ把握のため、その時代の「状態」を考えるために調査することについては賛成
 →それを何に使うかどうかが重要。

○漠然とした「不幸感」
・海外と比較しても、経済成長はそこそこできている
 生活水準、福祉レベルもわりあい高い
 →それなのに、なんとなく不幸に感じるのはなぜ?

○自殺に対する調査結果(ライフリンク)を踏まえ、「幸福」を考える
・社会の経済成長は個人の幸福を測れない(うつの増加、自殺の増加)
・「無縁社会」における直葬(誰も遺骨を引き取らない)の増加
 →NHKスペシャルによると全国で32000人いるという

○政府になにを求めるか?
・直葬率を下げることを求めるのか?
・「新しい公共」を考える。例えば、平均年収300万円前半の地域で、
 元気で楽しく生活している人がいる。
・がんばればやれる。がんばれ!と言ってくれる人が必要。それは政府では担えない。
・官でも民でもすでに様々な活動はある。しかし本当に困っている人は家から出ないし、
 そのサポートにあやかれない。そういった人をどうする(救う?)べきか?
・犯罪者はいろいろな「縁」からすり抜けてしまった(孤独)人が多い。
 でも周りには誰かしら人がいるはず。周りが気付かないのか、本人が気付かせないのか。
 そういう人を強制的に「縁」に組み込むことは難しい
・そもそも、そういう「縁から外れた」人を助けないといけないのか?
 一歩踏み出すのは本人の意思。
 支えてあげる仕組みでなく、本人が一歩踏み出すためのきっかけ作りが必要。

○縁(つながり)への帰属の必要性
・一歩踏み出せる人間を育てるにはどうすればよいのか?
 自分たちも含め、「支配される」ための教育を受けてきた。だから踏み出せない。
・支配されるということは、帰属するということと近いかもしれない。
 戦時中など権力が明確で支配されていればそれはそれでまわっていくが、
 今は誰に支配されているかもわからない(黒幕が不明)。見失ってしまう。
 何に帰属しているかわからないことが、幸福を見失っている原因なのでは?
・これから新しい黒幕を求めるのではなくて(何かに支配されるのでなくて)、
 自分自身に取り戻すことが必要なのでは。
・幸福の尺度を個人に任せる(放任)ことは危険。中東の場合は、宗教(神)に帰属している。
 自分より大きいものを頼るのは悪いことではない。ある意味、支配(帰属)は必要。
・支配されることに慣れてしまうこと=「家畜化」は問題だが、帰属は必要。
 どういう縁に入るのか、作るのかを自分で選択して決めれば良いのでは。
・夏目漱石「個人主義」⇔「則天去私」
・現代の「個人主義」は、自ら選んだというより、社会の変化(自分の意志ではなく社会の意志)や
 流動性によって、個人主義にならざるを得なかったのではないか。
・社縁、地縁は時代の流れでなくなっているかもしれないが、自ら縁をつぶしていく流れもある。
 忘年会を嫌がる、お見合いオバサンを避ける、ムラ社会を面倒くさがる、など
・小さなコミュニティは距離感が近いために手間がかかり、硬直化する
 公共政策としてスモールコミュニティをつくるのは難しい

○縁や帰属をどうデザインするか?
・かつては必要に迫られてコミュニティを作っていたのではないか。家屋の維持や農作業のためなど。
 山形や福島で聞いた話では、東京オリンピックを契機にコミュニティのあり方が変わった。
 東京への出稼ぎが増え、現金を得るようになると、それを期に田舎から都心へ人が流れ、
 コミュニティに対する考え方が変わった。また、流動性によってできた東京は縁がなくなった。
・誰かが意図的にコミュニティを作るべきか?あるタイミングで硬直化しないように壊すことも必要か?
・コミュニティの最小単位を家族とすると、それ自体は壊す必要はない。
・強制された結婚でも、覚悟を決めれば悪くない。「自由な選択肢」による弊害。
 行き場を自分でデザインできない。
・自殺の要因はひとつでなく本人にしかわからない。昔は「そういうものだ」が共通意識として
 あったので例えば自殺しなくてもすんだ。今は個々人の判断。
 個人レベルの幸福の尺度と社会レベルの幸福の尺度は異なる。

○今日確認できたこと
・GDPや経済成長だけでは「社会の」幸福は維持できなくなってきたようだ
・縁(他者とのつながり)と自由のバランス(トレードオフ)は、幸福の構成要素の一つ

○おわりに-「社会の」幸福デザイン ※一人ひとりの感想
(誰が担う?縁をデザインするとしたら適正規模は?半ば強制的に与えるor個々人に選択させる?)
・合理性(役に立つか立たないか)から離れること
・地域のおばちゃんが様子を伺いにいくような社会、相互に関心を持つ
・collegeの語源は寮。強制的に生活を共にすることで強い繋がりができる
 全寮制の大学は日本にはない。大学を全寮制にしてはどうか?
・「孤独」を遠ざけず(ネガティブにならず)受け入れることも必要
 アラビア語で、神=豊か=何も必要としない
 つながりを必要以上に求めすぎないことも大切ではないか
・体を動かすことで交感神経と副交感神経のバランスがとれる
 デイトレのようにワンクリックで稼ぐのではなく身を粉にして働くことで幸福感につながる
・政府の役割は、幸福を妨げるネガティブ要因の改善をすること
・政府として目標(GDPなど)を掲げるより、巨大な縁を作ることで幸福度は上がるのではないか
 時代が幸福度を作ることを要請している、それによって新たな目標が生まれるのではないか
・つながりの質を高めることをやっていくべき
 mixiなどのように簡単につながれると、簡単に切れてしまう
 迷惑をかけてもかけられてもつながっていく縁を深める
 基本的には親から子への伝承なので、親世代への教育が必要
・「あえて留まる主義」
 流動性の高まりが問題→「自分ごと(思い入れ、主体性)」から離れていく。
 「公共物のつまみ食い」になってしまう。
 あえてその土地にとどまる、という一貫性から人に伝わるものがあるのでは。
・日本人の選択肢は狭い。社会人が目的のない旅を1年してもいい。選択肢の幅を拡げること。
・幸福を求めるより、ネガティブ要因を分析して対策を考えるのが現実的。
 たとえば、自殺率を30%改善したフィンランドなど。マクロ的には政府の役割。
・家族の縁を支えられずに地域の縁を支えることはできない。身近な縁を大切にする。
・直接(生身の人間がぶつかり合うこと)のつながりが縁を深める。教えるのは家族。
 家族になんらかの問題がある場合、それを支えるのは国の支援。
 保育所の整備など家族をつなげられる道を提供する。
・政府にできるのはネガティブ要因を改善するための仕組み作り
 問題の因果関係を一つ一つ突き詰めて、規制なり支援なりで改善していくしかない
 失業やワーキングプア→企業の雇用規制を変えるorセーフティネットを作る
 孤独→結婚できる環境整備→給与格差の解消(生活不安払拭)、婚活支援

○ラップアップ
・自主ゼミのアウトプットは2つある
 一つは、個々人が明日からの自分の生活や行動を変えること
 もう一つは、社会全体としてどうあるべきかの視点を持つこと
・問題を解決するということは、理想と現実のギャップを埋めること
 理想を言うだけなら簡単だが、ギャップを埋める手法を具体的に考えることは難しい
 自主ゼミの議論をきっかけに、普段の生活でも考え続けて欲しい

■次回について
・6月20日(日)15:00-18:00@構想日本
・運営者:市原、高塚
・書記:富樫