何でも言えば良いってモノじゃない。 | ティムタムのブログ

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人と関わるのにある程度の節度と距離感は必要です。

お互いがその領域に踏み込んだ時、それを許せる人は自分の周りに果たしてどれだけ居ると思いますか?

個人的な意見としては、実際それを許せる人はそれほど多くないと思います。
例えば友達(親友と呼ばれるレベル)、例えば人生のパートナー、例えば会社の先輩や上司、そして家族…といったところでしょう。

みなさんはいかがですか?

例えばあなたが何かしらのミスをしたとします。

それを見た見ず知らずの人にそれを指摘されたとしたらどうでしょうか?
感謝をしますか?あるいは「はぁっ!?」と言うでしょうか?
 
どちらかと言うと、大抵の場合は「はぁっ!?」となる方が多いと思いますがいかがでしょうか?

ミスそのものは良くないものとしても、それをいきなり知らない人から指摘されたら本能的に「ご指摘して戴き、ありがとうございます」とはなりにくいと思います。

ここまでで、「なんだ何が言いたいのか?」となりますよね!?

そうです、今の世の中やたらと他人を批判する機会が多くありませんか?
 
昨今の著名人の事件や政治家のスキャンダル、またご近所トラブルの加害者…等々はともかく、その被害に遭われた方々や、素晴らしい事を成し遂げた方にまで重箱の隅をつついて出してきたマスコミが挙ってニュースを流していますよね…淡々と、ではなく面白半分に。あたかもその実害を被ったかの如く火弁を繰り出してくる毎日。

確かに目や耳に入ってきたらつい何かを言いたくなる時は僕にだってあります。

でも、それを当事者に伝える機会が仮にあったとしたら、実際に面と向かって指摘ができるのでしょうか?

今は便利なもので、インターネットの場で匿名である事をいい事によって集って完膚無きまでに打ちのめすという光景を見た事は無いでしょうか?

匿名だからこそ恐ろしいのは、私感が入り、憶測や推測で発信する事。
これは本当に怖い事です、された側としては。

その発信された意見の正否なんて、実際に見ていない人にとっては分からない筈なのに自らはオブラートに入り込みターゲットへ容赦なく撃ち込む。

いくら許されない事件が起きても、そこに至るまでの過程なんて赤の他人には知る由もない訳だし、それらは当事者間の事であって、第三者が踏み込むべきでない領域です。

物語は物語で良いんです。あくまでも創作話なのですから。こんなのが批判されてたら、、そもそも物語として不成立なのです。

桃太郎を例に挙げましたが、ここでおばあさんの心がボキッと折れてしまってたら、鬼ヶ島の鬼達はやりたい放題になり、その先を知りたいと思いませんよね?

ですから何でも言えば良いってモノじゃないと思います。
インターネットが無かった時代、ニュースを知って思う事は、その頃はご近所さんを含め近い距離の人との結び付きが強かったように思います。

それが今ではマスコミが報じた途端にSNSから呟いたり、一部のブログから画像を晒され、早速非難轟々。

検証も何もあったものでは無く、ただその発信への連鎖反応と同じように、自分も一緒に挙って批判の嵐。

もちろん、みなさんも余程発進器を付けて耳をダンボにして聞かないと当事者がどのようにしてここに至ったのかを知る事が出来れば話は分り易いのですが、やはり全ての機会を見て来て、更に当事者と親しくならないといけません…なんて実際にそれは実現不可能出す。  
 
批判したいのであれば、
するのかしないのはそれぞれ自由ですが、
でもその人にも家族がいて、もしかしたら既婚者かも知れないから、その人とその家族の人生をわるいぼうほ大きく変えてしまう事になります。

言うのは簡単!…でも文章にすると難しいものです。

嘘をつくとどことなく体に現れます。
 
批判ばかりしてたら、信用を無くすおそれがありますので前提にどうぞ気のすむところまで書けば良いと思はいます。発信した本人の周りから人は遠ざかっていきます。

それが怖いのであれば、こちらをお読みされた時点から人への批判はやめて欲しいです。無益ですから。

人との出会いは大切にしたいと思います。

それが目の前の人であっても、インターネットで縁がった人もすべて出会いです。

様々な場所で出会うこうしたご縁も大切にします。