石津幸恵というテニスプレイヤーがいる。
4歳でテニスを始めて18歳でウインブルドンの女子Jrで準優勝したらしい。
さぞ英才教育かと思いきやどこのクラブにも所属せずアマチュアテニスプレイヤーで医師の父親からマンツーマンで指導を受けているだけらしい。
父親いわく
「あーしろ、こーしろとかはいいません。なぜなら自分で発見したことしか身につかないから。」
んー、どうなんだろう。
手取り足取りとまではいかなくても指針みたいなアドバイスがあったほうが・・・。
某演劇カンパニーの稽古初めでは必ず演出家が「稽古場では恥をいっぱいかいてください。」という。
一つの台本でもいろんな解釈をしてさまざまな芝居を恐れず提出してほしいということ。
しかし芝居を提出するには最低限よくいう5W1Hを台本にそって書かれていない部分も自分なりに設定しないと支離滅裂になる。
バックグラウンドってやつ。
普段の生活なら目を開けていれば今は会社とか学校とか自宅とか見ればわかるが稽古場では自分で想像して今は自宅とか勝手に設定する。
というだけなら簡単に思うかもしれないが例えば会社にいるときに自宅にいるように振舞ってみて?といわれてもなかなかできない。
お互い”ごっこ”だとわかっていても怖ーい上司に「パパ、風呂掃除しといて。」なんてなかなかいえない。
しかも衆人環視の中。
最低限がそれでなおかつその世界観のなかで面白いものを(笑いだけじゃなく)アミ出そうとする。もちろん台本に助けてもらったりしながらね。
まぁ1人芝居でないかぎりチームプレイなんでシュートも打てばアシストもしたりパスを出したりもするけど。
そうやって仲間を尊重しながら自分の事は自分発信で1シーン1シーン積み上げてはやり直し、積み上げてはやり直しという作業は難しくもあり、おもしろくもあり・・・まさに創り上げる。
だから稽古期間も長いが役にも作品にも愛着が湧く。
某劇団では新作ものでは前述のスタイルの稽古もあるがロングランや再演物ではほぼ芝居が決まっていてそういう作業は割愛され暗記マシーンのように前任者の踏襲を要求されることが多い。
だから正規の稽古ではどれだけやり込んで来たかを発表する場になる。
お手本通りにどれだけできるか。
まぁ当時は1日24時間、団員なら自由に稽古場を使用できたので急ぎの仕事を任されるとテッペン超えや徹夜で自主練なんてみんながみんなあった。
ブロードウェイやハリウッドと違ってユニオンとかないからね。
やり終えたらそれはそれで自信もでてくるが。
そんな詰め込み稽古でも役者って表現したがりが多いからいろんな隙間でちょこっとした芝居を提出するんだが新人のうちはそういうのいらないからなんて演出家でもないただの役者の先輩にカットされる。
カットされてもガッツを出してわざわざ演出家の前でやってOKもらえる人もいたけどね。
(その後の嫉妬による攻撃とかもう笑っちゃう。もちろん自分もその手があったか!なんて悔しい思いもたくさんしたが攻撃はないよ。)
それで現役と混ざっても遜色なければ各自小屋入りして”場あたり””入れ込み”という現場作業になる。
(新人のうちはここでかなりこってりやられ品定めされる。でも稽古を見る立場になると上からもいろいろ言われるからどうしてもこってりになってしまうんだがね。)
どっちの稽古スタイルも今ではいい経験だと思うしチケットを買ってくださる観客からしては出来上がりは大差はないかもしれない。
だが振り返ってみて暗記させられた芝居は記憶にあまりないが演出家やみんなで作り上げた芝居は今でも覚えている。
「あーしろ、こーしろとかはいいません。なぜなら自分で発見したことしか身につかないから。」
まさにそうだと思う。
時間はかかって回り道するかもしれないが急がば回れなんて言葉もあるじゃない。