SPLENDED DAYS

SPLENDED DAYS

ヤフブロより移転。

こんばんわです。


多少落ち着いたので、お盆休みの話をしたい。


精神的な問題を抱えてはいるが、やっぱり楽しむときは目一杯楽しみたい。後先なと知ったことじゃないのだ。


まず、8月10日の朝に、家を出て、タクシーで最寄り駅に向かう。タクシーでないと間に合わない事情があったとはいえ、やはりタクシーは快適だ。


そこの駅から電車で約1時間かけて、静岡駅に着く。あまり時間がないので、おみやげを買う…のだが、お金を降ろしておくのを忘れていて、そのまま改札を通ってしまったので、ATMがない。仕方ないから駅員に事情を話


して改札を通してもらう。


そのまま駅外に出て、近くのコンビニで用事を済ませて、再び駅に入り直す。


おみやげは静岡おなじみらしい「こっこ」である。こいつを買うのは2度めだが、恐らく3度めはあるまいね。


大型連休の時期ではすっかりおなじみになった全席予約のため、焦らずとも席に坐れる。4時間とはいえ、坐れないのはそろそろいろんな意味でキツイ。


今回は新山口駅に向かえに来てくれているので、いつもよりスムーズに家人(母親)と再会。車でそのまま実家に。


帰り着くと、ネコさんにご挨拶。やはりネコはかわいい。







うちのネコはとにかくかわいいのだが、人懐っこくて愛らしいのだ。


実家では、まあとりたてて特別なことをしたとかでないが、テレビを見たりとかビールを飲んだり…まあ普通だ。


いろいろ出かけたりするのは恐らく翌日以降ではあるまいか…。ああ、この日は近くの本屋で『ゆゆ式14巻』と『Vドルあーかいぶ②』を買いに行ってるか。まあこれは単独行動だからカウントはされないかな。


あとこの日の深夜はビートルズの1966年の武道館ライブのブートDVDを久しぶりに鑑賞してるね。





このライブはいまだに公式にDVD化もされてない、激レアライブなのだが、なんでも演奏のクオリティがひどくて、マネージャーのブライアン・エプスタインがリリースを認めなかったらしい。恐らくEMI側も納得はしなか


ったろう。日本では一度VHSで出てはいるのだが、リリースはその一回きりで、あとは事実上封印されている。


アンソロジー以降、あんだけ無節操にアウトテイクや未発表曲を、ブートと変わらない勢いで出しまくったり、ブートではすでに有名な、いわゆる「GET BACKセッション」や「ルーフトップライブ」まで出したというの


に、この日本公演だけはかたくなに出さないのは、今度はポールやリンゴが難色示してるんだろうな。


確かに演奏のレベルはかなり低いし、特に〈IF I NEEDED SOMEONE〉のグダグダっぷりはビートルズの名誉のためにもお蔵入りがふさわしいと納得できる。決してジョージだけが悪いわけではないけど。





それでも、メンバーは終始楽しそうな笑顔いっぱいだし、ジョージは常にファンサを欠かさない。今回のライブでの好感度ナンバー1は間違いなくジョージだ。






どこかチャンスがあると、すかさず観客に手を振ってくれるジョージは好感度爆発ですよ。ありがとうジョージ。


…とまあ、脱線してしまったが、10日はこうして更けていったというわけだ。










こんばんわです。


お盆休みの話をしたいのだけど、現状かなり精神的にキツイ状態なので、気持ちが先走りすぎて、全くまとまらない。どうもブレイクダウン一歩手前のような感覚だ。


もっと言うと、統合失調症一歩手前ぐらい危険な感覚すらある。幻聴などはないが、なんかもうそれも時間の問題のような気すらしている。


かなり前だが、精神的にキツくなってしまい、深夜3時にもかかわらず、精神科に電話をしたことがある。この時点でやばいのだが、そのときはもう居ても立っても居られない状態で、すぐにでも入院しなくては、という切


羽詰まった状態だった。


結局夜が明けた後に改めて病院には行ったのだが、「入院するほどではない」とのことで、投薬を受けて帰ったのだが、深夜に電話してしまう、いわば非常識な行動をとってしまうくらい、わたしは病んでいたのだ、と我な


がら恐ろしい。もっと恐ろしいことには、当時から常軌はなにも変わっていなくて、むしろ悪化している、ということだ。愈、日常生活に影響が及んでおり、対人関係が完全に破綻している。最早自分ではどうにもならな


い。キチガイというより、生活無能力者のような、生活破綻者のようだ。正直な処、危険な状態だとも思う。ふとしたはずみで、最悪な行動をとってしまいかねないような、もうなにも未練などもないし、このまま終わった


としても別に…いや、ネガな方に気持ちが持っていかれないように持ちこたえたいが、それも、もう、時間の問題かも知れない。なにを言っても理解もされないし、すべて否定されて、正論攻撃で、人格否定される。もうた


くさんだ。逃がしてくれ。もう嫌だ。人間はもうたくさん。うんざり…。人間の世界では生きていけない。何のために生きているのか分からない。死なないため?


だとしたら、さっさと終わってくれた方が絶対にいい。時間の無駄だし、生きているだけ苦しむばかりだ。



…明日メンタルクリニックの予約をした。そこで思いをすべて話すつもりだか、それでどうなるかなど分からないし、それでわたしが救われるか、なんて保証はない。でも、話を聞いてもらうだけでも、わたしは救われた思


いだ。少なくとも否定や拒絶などはされないだろう、と思うだけで、わたしは幸せな気持ちになるからだ。


現状は大人たちの正論攻撃で、兎に角否定、拒絶ばかりで精神的に痛めつけられているので、せめて受け入れてもらいたいし、それが例えかりそめだとしても、その安寧に漂うくらいは、浸らせてもらってもバチは当たるま


い、などと思ったりしている。


現実的な知見からだと、診断書のようなものを貰い、狭量な世界観しか持ち得ないやからを黙らせたい、と思っている。具体的な病名がないと精神的な病すら、逃げや誤魔化し、ウソつきだと罵倒してくる野郎どもばかりだ


から、もう我慢はならない。もちろん「分からせ」など無駄な事だとは思うのだが、ああ言う手合は公式な文書には頗る弱い腑抜けだから、吠え面かかせてやりたい。


黙らすには効果的であろうから、わたしとしても積極的にカウンセリングは受けたいし、それ以前の問題として、実に20年以上は悩み続けていることでもあるので、これはいい機会なのだ、と思うのだ。

今年も24時間テレビの季節が近いが、すでに何年も前から深夜枠しか見てないけど、今年は特に見ないだろうな。てゆうか、世間的にもかなり叩かれてるし、なにより何年もの間、MCがジャニタレだったりとか、チャリ


ティーと言いつつ、出演者に高額ギャラを出すとか、とにかく胡散臭いからなあ。さらに寄付金の着服とあっては、もうおしまいなのだが、今年もまたやるという億面のなさにはびっくりなのだ。


…とはいえ、わたしにとってはあまり関心もないから、やるなら別に、とは思う。どうせ見ないし。


個人的にはそれよりフジテレビの27時間テレビの方に興味関心があったのだが、それももう何年も前から興味をなくしてしまった。特に今、まさに27時間テレビをやってるが、そんなことはどうでもいい感じ…。単に今のお


笑い、特に若手芸人を面白いと思える感性など微塵もないからだ。


いわゆる「第七世代」なんで大げさに構えたのも失敗だったのでは、と思うし、あのグループで売れているとすれば、せいぜい霜降り明星ぐらいだろう。他のコンビは名前くらいしか知らない。


その霜降りのせいやに関しては、日本語ラップ好き、というところでリスペクトしてるから個人的に好きなのだが、それもまあお笑いとは関係ないところの話だからなあ。


あと粗品は…まあこの数ヶ月で彼に対する評価はかなり変わったんだろうな。個人的にはあまり好きな言動ではないから、積極的に追っかけたくはない。


27時間テレビもまた、若者人気をあてこんだ企画をぶつけてきてるみたいだが、どうも世間とのズレを感じるし、テレビメディアの大きな勘違いがあるような気がしてならない。


いまだに「テレビ史上主義」みたいなものが罷り通り、またまかり通そうとしている、この時代感覚はちょっとひどい。わたしは若者ではないが、今の若い人って、人気若手芸人が出てるからってまる一日テレビを見続ける


のだろうか。さすがにそこまで熱意を維持し続けるのは難しいんではないか。


わたしなどは、フジの24時間テレビが始まった1987年から90年くらいまでは、なんとしてもすべてリアタイで見んとして、実際に一睡もしないで見続けたが、やはりそれは単純に企画が「面白かった」からであり、MCの魅力も大きかったから、に他ならない。


ピークは、やはりいわゆる「BIG3」企画で、タモリ、たけし、さんまによるコーナーに尽きる。このメンツなら、特に企画を設けなくても、ただトークするだけで極上の企画になるからだ。今はそんな芸人は存在しないか


らなー。


懐古主義だと言われそうだが、やはり人にとっては「自分の世代に見た体験」が最高のものになるわけで、だから「昔はよかった」となるわけだ。それは今現在の若者にとっても同様なのであり、人間、自分が体験していな


いものは「正当な」評価は出来ない、ということだろう。


わたしとしては、ドラクエとかエヴァなどに関しても、同じような感覚を抱いてしまうし、だからこそ今の3Dオープンワールド化したドラクエは嫌いなのであり、もっというとあれを「ドラクエ」だとは認められないし、


受け入れがたい。エヴァだって新劇は、あんなのらエヴァじゃないとすら思っているし、庵野秀明はわざとエヴァを破壊したのだ、と思うことにしている。


話か逸れてしまったが、つまりは誰しも自分の世代のシリーズが一番好きで、それこそが「本物」である、と信じる、という傾向がある、というわけ。


そういったわけで、かつてあれだけ好きだった27時間テレビも、わたしの手の届かないところに行ってしまった。あとは惰性を繰り返すか、そのままひっそりと消えてしまうのだろう。わたしはそれでいいと思っている。



先ほどの続き。


入院生活というものは、やはり退屈なものであるが、わたしとしては、入院というものを、1種の「イベント」のように捉えていて、今までにおいて何度目かの入院に於いても、例外なくワクワクしていたものだ。いわゆる


「非日常」的な事態に興奮したり、ある意味トランス状態…は言い過ぎか、些か凡庸な表現だが「テンション上がる」状態とでも例えるか、そんな感情がないまぜになったような、渦を巻いて、そのまま周りのものを巻き込


んで巨大化し、わたしの制御が効かないくらい、勝手に、わたしの感情を蹂躙してしまうような、わかりやすく言うなら、『塊魂』というゲームがあるか、あのような形が最もわかりやすい例えになるかも知れない。


…とはいえ、そのような蠱惑的な感情などは所詮一過性のものに過ぎないのであり、早くとも、一晩経ってしまえば、たちまちそんなワクワクなどは消し飛んでしまうし、そこに残るのは、ただただつまらない「日常」に取


って代わられてしまう。あとは退屈でつまらなさが横溢し、毎日繰り返されるだけだ。あのワクワクは何だったのだろうか。ジェットコースターに乗る前であるとか、お化け屋敷に入る前の感覚に例えることは出来そうだ


か、しかしわたしはそのどちらも、いかに「ワクワク感」が与えられようとも、それを享受することは断乎拒否したい。


病棟には絶えず人がいるし、仕事であることも承知してはいるが、看護師が矢鱈と様子を窺いに来るのも、結構なストレスになってしまう。とはいえ、仕方ない事であるので、その事について文句を言うわけではないが、正


直な感情としては、矢張りそういうことになる。


症状としては、「低リン血症」というらしい。脱力などの症状が出るようなので、間違いはあるまい。夏バテであるとか、熱中症も疑いはしたが、どうもそこの辺りで


もなさそうだ、


目下退屈ではあるが、gooブログで面白いブログを見つけたので、昨日から断続的に見ている。赤塚不二夫に関してはいまだにあまり食指が動かなかったのだが、いわゆるバカボンとかおそ松とかもーれつア太郎などと言っ


た、いわゆる「少年誌連載マンガ」などはあまり興味がなかったし、赤塚不二夫本人についても、晩年の酒ぴたりで身体を壊していた姿の印象があまり強くて、評価を著しく下げていたし、手塚治虫や藤子不二雄、石森章太


郎などのトキワ荘世代の漫画家に比して、決して同率に評価することはなかったからだ。


そういう個人的な感情もあり、手塚、藤子などとは違い、もっと言うと「歯牙にもかけない」くらい完全スルーを決め込んでいたのだが、このブログを読むと、そん

な感情などすぐに吹き飛んでしまい、俄然赤塚作品に興


味が湧いてきた。


すなわち、『ギャグゲリラ』であり、『キャスター』であり、滝沢解と組んだ一連のアナーキーな作品たちである。特に滝沢解と組んだ『狂犬トロッキー』と『鬼警部』はかなり興味深い。退院ののち、少し漁ってみたく


なる。


赤塚不二夫の狂気や、実験的な側面などはやはりかなり興味があり、『天才バカボン』などでも遺憾なく発揮されていて、そこの部分に関しては、わたしはバカボンと雖も大好きなのだ。


単行本未収録作品であったり、のちにセリフが改変されているものは、まさに赤塚不二夫作品にはかなりあるはずだから、余裕が出来たら、この辺りにも当たってみたいと思う。まずは『ポップコーン』なる雑誌を…と思っ


たら、まんだらけでは軒並み「品切れ」であった。そこは気長に待つしかあるまい…。





こんばんわです。


ここのとこ、なんだか疲れやすくて、マズイなあー、と気にはしてたんだけど、数日前、ついにダウンしてしまった。あまりにひどい症状だったので、何年かぶりに救急車を呼ぶ事態になり、我ながら驚きだ。


救急車を呼ぶ、という行為は何年も前から賛否があるのだが、もちろん救急車を呼ぶ判断の是非などは、個人の判断に委ねられるのが本来である。だが、軽い気持ちで

気持ちを安易に呼んでしまうアホがあまりに多いから、


わたしなどは「救急車を呼ぶこと」を躊躇してしまう思考に至ってしまう。なので、さんざん迷ったあげく、ようやく救急車を依頼、そのまま担架に乗せられ、病院に向かうのだった。


まず向かった病院で血液検査と点滴をする。なにしろ全く身体に力が入らず、かなりの脱力状態だ。血液検査の結果は、確かリンの値が異様に低いらしかった。このあと、入院設備のあり病院に移送されるのだが、そこでは


CCU(だったか)に配置(?)され、引き続き点滴を行う。こうした「本格的」な入院は、名古屋で入院したときから数えて約20年ぶりだ。まあ、あの時はICUだったから、今回とは比較にならぬほど事態が深刻だったのだ


が…。


そうした経験を踏まえると、今回の入院は確かに軽微なものであろうが、わたしからすると、やはり深刻な事態であることには疑いはなく、只管焦りがつのるばかりであった。よもや死ぬようなことはないにしろ、このよう


なことは、当たり前のことだが、ない方がいいからだ。


曜日にして木曜日の7月18日、わたしは久しぶりに入院患者となった。