愈々歳も押し迫り、ジョン・レノンのあの悲劇の日も過ぎた。私は最早、ジョン・レノンのことばかり考えていた時期など、疾うの昔に過ぎてしまい、今やジョン・レノンの事を考えることが辛くなってしまう。だからジョ
ン・レノンは勿論、ビートルズの曲すら聴くことも抵抗を感じてしまう。否、勿論ビートルズもジョン・レノンも皆大好きなのだが、好きであるが故に尚、触れるのが恐ろしく⋯。
もうこの世にいないジョン・レノンのことを思うと、悲しみや切なさ、そしてなにより悔しさが込み上げてくる。ジョージのように、病気による死(ジョージは癌による死だった)であれば、まだ納得も出来よう(とはいえ
納得はし辛いが、まだ)が、ジョンの場合は、理不尽にも無理やり人生を終わらせられたのだ。こんなことは到底納得など出来る筈はない。実に巫山戯た話だ。ジョンは1981年には日本でのライブを計画していたというの
に、なんという悲劇だ。しかもそれが他者による身勝手な暴力によるものなど、認められるものではない。
ジョンは1975年からのハウスハズバンド時代、何度も日本に来ており、軽井沢は勿論、都内や長野の鬼押出しにも訪れているのだ。ジョンが写った写真がたくさん残っているのが、せめてもの救いだが、それでも1980年
の復活以降の、日本での楽しい思い出をたくさん作れる筈だったものを、無念でしかない。
1980年の復活から、日本公演が決まったであろう時期の11月に、ジョンが前乗りで来日していたらあんな悲劇には出くわさなかったであろうに。アルバムのプロモーションやライブの告知などの爲に日本のメディアに出
るなんてことも、当然考えていたであろうから、そうしていたら、ジョンは今も健在であり、なんなら日本のメディアに何度も出演して、徹子の部屋とか笑っていいともとかにも出てたかも知れない。日本のミュージシャン
たちとの交流も盛んにあっただろうし、日本の音楽史も大きく変わっていたであろう。なんなら1981年の紅白にジョンが出場なんてことだって、ないとは言い切れないのだ。
そして、時が過ぎて、ポールが来日解禁された1990年にはポールのライブにジョンが飛び入りなんてスペシャルなサプライズだって、そんなの絶対ないなんて言えないくらい、あり得たのだ。そうなるとアンソロジー企画
はなかったかも知れぬが、そんなのはジョンが生きていてくれる代償としてはゴミみたいなものだからどうでもいい。どうせジョン関係なく、ジョージマーティンとかEMIが未発表曲集めたアンソロジーやろうか、とかなる
に決まってるのだ。その時は、ジョンを含めた[ビートルズ]が期間限定で復活[再結成と謳うとプレッシャーになりそうだから]もあり得るし、うまく運べば新曲でアルバム出すなんて流れにつながるかも知れない。
そこにはオアシスやニルヴァーナなどビートルズ大好きなバンドたちもリスペクトを以て迎え、アルバム参加なんてことも充分にあり得るだろう。
⋯夢想は留まる處知らず。ジョンが1980年11月に日本に滞在していたらなあ⋯なんて考えてしまうと、益々あのクズの顔面を殴りつけたくなる[名前すら出したくない]が、あのような野郎のことは無視して、只管ジョン
が生き延びた世界観を夢想していたい。それは、ほんの少しの誤差で変わった、恐ろしい運命なのだ。

