わたしは何を隠そう生臭坊主です。また、馬鹿です。それは認めます。

威張れることではありませんが自認しています。


というのも、わたしの生来の癖である何事にも中途半端が僧侶であるわたし?にも影響しているからです。


わたしだって、例えばヴィパッサナー瞑想もしていましたし、浄土真宗の勉強に打ち込んだ気持ちもありますが、例えばヴィパッサナー瞑想は西洋医学の精神科医が使うのと共通の事項を発見し、我流に変えてしまい、浄土真宗の僧侶なら誰でも語れる?二種深信は本山の本ではちんぷんかんぷんで釈徹宗さんの解釈のみを頼りに理解していて、誠に頼りない。だったと思います。いや、少しは喋れますよ。ハハ。親鸞の思想構造です。それ以外は読んでいません。記憶違いならすみません。

他宗派も学ぶべく交流があったものの、基本的には他宗派の僧侶とだけまともに会話が成り立つのはわたしが至らないのですが、浄土真宗僧が煩悩具足の凡夫が、非僧非俗が、といわれ心底ゲンナリしたものですが、醜い言い訳に使う人の多い事。だとわたしは理解しています。わたしの理解が間違いなのでしょう。

またある、上座部仏教僧が語る大乗仏教については、悪口【あっく】、についてどう思っているのか心底心配になり、興味あるかたは、十善法語などの大乗仏教ではなく、戒律の、人を見下し、驕りて悪口や陰口を言うことなくをあたってくださいね。

布薩

合っていると思いますが不安です。調べないで書いてます。

八斎戒の午後は食事を摂らないさえ守れぬ上座部仏教僧にゲンナリし、わたしでさえヴィパッサナー瞑想する時は最低限八斎戒を意識します。なんかもう、わたしが悪いけどね。となり、自分流で僧侶をしていました。

蝸牛くんは僧侶としては法話が教えが理解出来てないと浄土真宗の僧侶にはよく言われました。他宗派の僧侶とは会話は成り立つこともありましたが、本当に嫌味ではなく、頭の悪いわたしではついていけない高邁な方々の多いこと。


わたしのようなものでも会話が成り立つのは、会話の主が驕り高ぶることなく、わたしに会話を合わせてくださるからです。


おかげさまで、蝸牛くんは門徒さんから一件も悪口ないから使いやすいとは言われてそれくらいです。僧侶として?人として?認めてくださった人。これだけが僧侶として認めてくださった方々。三つお寺に勤めて、一軒目のお寺で一軒だけダメなお家があり、三軒目のお寺では一軒もありませんでした。二軒目は知らないです。統合失調症の症状酷くもあったし。大阪市内のお寺ですけれど。。


僧侶として受け入れてくださった方々には感謝しています。心から思います。ありがとうございます。


僧侶として難しいなら人として見ていただけたらと思い頑張っていました。って話です。


戯言です。


それではまた。