今日の大栗裕:大阪俗謡による幻想曲(1955)
かれこれ2年前の春……初めて耳にして「洗礼」を受けてから俺がごりごりゴリ押しなまでに推している曲が、大栗裕(1918-1982)の「大阪俗謡による幻想曲(Fantasy on Osaka Folk Tunes)である。この曲が書かれたのは昭和30年代の幕開けとなった1955年。世界的に有名な指揮者、朝比奈隆(1914-2001)がベルリンフィルハーモニー(BPO)に招かれて海外ツアーすることになった際、邦人新作をはよう持ってきてくれんかいと頼まれて作曲したのがこちらである。そして翌1956年5月28日、まずはその前にということで関西交響楽団(現在の大阪フィルハーモニー)により神戸新聞会館(現在のミント神戸)にて落成記念イベントの一環として世界初演された。よって本日(5/15)、5月28日を「俗謡の日」とする!!!!!!!いやァないすタイミングだねぇ。前回の記事のはほんまにクソ最悪タイミングだったからな。この絵を見な。あなたは俗謡幻想曲を再生するたび、この梅田團治郎のキレる姿がフラッシュバックするでしょう……それくらいの破壊力を誇る一曲である。「のさばる悪をなんとする 天の裁きは待ってはおれぬ この世の正義もあてにはならぬ 闇に裁いて始末する 南無阿弥陀仏」ー 必殺仕置人(1973)よりオープニングの一節……この言葉も何気に似合う。主題的には本来合わないはずなのに。今年も楽しみな天神祭の地車囃子と、当時大栗が実際に住んでいた辺りの生國魂神社の獅子舞のお囃子、都節音階を融合した結果、神聖なるものを遥かに超越した魔性(いい意味ですよ)極まりない音を創り出した大栗裕。特に、ニューエイジ・ミュージックを預言したアンダンテの中間部からスラッシュメタルばりの攻撃性に満ちたコーダへの流れの秀逸さ、そして威圧感が過ぎるティンパニとちゃんちき(当たり鉦)の超絶怒涛の乱れ打ちアウトロはプログレッシブ・ロックにも真似できないほどの素晴らしさだ。大栗は実際ジャズ・ジェネレーションだからバディ・リッチやジーン・クルーパの功績に通底するサウンドメイクをした音楽家ではある。そもそも彼は東京にいた頃、スウィング時代に頭角を表した伊福部昭、早坂文雄とかの楽曲の初演に携わった影響で作曲家になった訳だから。しかし、伊福部の愛弟子でほぼ同期の黛敏郎(1929-97)とは、実際に処女作「ルンバ・ラプソディ」(1949)にジャズの影響がもろ出ていたにも関わらず、大栗自身が電子音やカンパノロジーに着目し始めた彼含む同時代の他の作曲家へのささやかな対抗心を表明していたように、かなり違う世界である。伊福部も「俗謡」の前年にゴジラのテーマ曲と「シンフォニア・タプカーラ」を生み出して瞬く間に孤高の映画音楽家となり、黛もあの後に「涅槃交響曲」など仏教の世界を主題とした作品を数々作曲し、日本テレビスポーツ行進曲やテレビ朝日「題名のない音楽会」の司会などですっかりお茶の間に浸透した有名人となったが、大栗は地元・大阪では今もなお尊敬すべき音楽家として愛されているのである。ちなみに、船場の小物問屋生まれと言われていた大栗の故郷問題であるが、もう決着は付いている。真の出身地は心斎橋にほど近い島之内(華僑の店が多いことで有名)、本籍は南空堀だった。どや。驚いたろ。