元文 :昔の新聞で見たハングル/京郷新聞
https://history.khan.kr/m/entry/옛날신문에서-본-한글

(通訳機使用)

数日前、南北が6年間共同で執筆してきた「民族マル大辞典」編纂事業が関係当局の

予算支援の拒否で座礁の危機にあるというニュースがあった。

90年度から法定休日からも除外された。

まだ世界の人々に韓国は「分断国家」というのが代表イメージであることを認めるなら、

民族の正統性を付与するハングルの建て直しに努力を惜しんではならない。

ハングルの日を迎え、この地で生まれたハングルの疲れた暮らしを昔の新聞で振り返ってみる。



60年代

60年10月9日は、514回「ハングルの日」を迎え、ハングル学会では、公文書と全刊行物の

ハングル専用を政府に建議した。

大統領が初めて臨席した「ハングルの日」の記念式だった。






69年10月8日付には、1970年から実施されるハングル専用方針により、必須要件である機械化

作業を急いでいると伝え、日本のものをそのまま使っている法律用語の韓国語制定が

急を要する」という内容だ。






70年代

1970年10月9日付では、公文書のハングル専用がある程度軌道に乗ったことが確認でき、

ソウル市庁職員たちが請願書類をすべてハングルで書き、仕事の能率が高くなっていると、

伝える。

しかし、ハングル版の教師書を使うことで文化。思想に関する理解が難しいという教師の言葉も

つたえている






文教部のハングル専用推進政策は、75学年度から漢字の使用を復活させるという内容である。

時代を逆戻りした.

中·高校の教科書に漢字を復活させることは、ハングル専用とハングル混用主張の対決で、

従来の立場を変えたのだ。

学校で漢字を学ばなかった世代がしばらくだったことが分かる。




80年代



85年10月8日付では、すでに裁判所、行政。新聞、雑誌など生活の中に入り込んで

定着しているハングルを学界で文法とハングル騒ぎで地理的な消耗戦を繰り広げているため、

国民の意思決定に悪影響を与えると診断している。

「ハングル看板」と「ハングル名付け」がブームになった時期もこの時期だ。





90年代

90年代に入ってさまざまな分野で変化が起きる。

社会的にはパーソナルコンピュータが世に出てきてハングルソフトウェアの開発も活発になった

時期である。また、以前のハングル学会で先導したハングル守護の役割を市民が主導する

方向に移る時だ。

国家的には、韓国と北朝鮮が言語の異質化を警戒して表記法を単一化する努力が、

始まる。


92年6月18日付を見ると、南北がハングルローマ字表記の単一化に合意するという内容だ。

これから始まった南北の努力が2004年『民族大辞典』の共同編纂につながる。