6/29、HaKUとのspritの初日、仙台でした。雨が降ると噂されていて、気温も肌寒いと予報されていて、でも行ってみたらとても暑く、夏の匂いがとても気持ちのいい一日でした。前に仙台に行ったのは気づけばもう3年前。高校に入学して卒業出来るくらいの時間が空いてしまいましたね。今度は学期が変わる前には行きたいな。実は昔、僕は仙台に住んでいた事があります。住んでいたと言っても、母親のお腹の中にいた頃です。なので、もちろん記憶には何も残っていませんが、何故だかまったく見知らぬ土地という感覚もなく、不思議とナチュラルに入り込んでいける場所なんです。待っていてくれた方々、ありがとう。
この日は朝早くに仙台に到着しました。このライブが決まった時から、どうしても行きたい場所、この目でちゃんと見ておきたい場所がありました。未だ記憶に鮮明に残っている約1年4ヶ月前に起こった東日本大震災、その最前線の土地、仙台。今どうなっているのかも分からずに、海沿いの街まで車で向かいました。そこに広がっていたのは、一方的「無惨」に破壊された街。1年以上経った今でも、あの瞬間が鮮明に蘇る恐ろしい景色がそこにありました。テレビの中でしか知らなかった世界。分かっているつもりでいた自分。破壊された建物に入った瞬間、この出来事に対する今までとは種類の違う切迫感が溢れてきました。そこには、青空の下、今でも「死」「恐怖」「絶望」のにおいが漂っていました。子供が使っていただろう、おもちゃの小さなマニキュアが泥にまみれていました。そこにいただろう家族たちに毎日時間を教えていた時計が止まっていました。上と下が分からなくなる位に手も届かない天井には泥がこびり付いていました。この言い方が適切かどうか分からないけれど、昨日この目で見る事が出来て本当に良かった。どうしようもない現実がありました。だけど、それを越えて立ち上がろうとしている人々が沢山いました。本当に沢山。
昨日、僕の目に映った世界を写真に撮りました。事は、ドラマのようにテレビでやらなくなったから終わったという訳ではなく、今もそこで続いていました。この写真は「過去の記録」ではなく、「昨日、すぐそこにあった景色」です。
エバタヒロカズ
この日は朝早くに仙台に到着しました。このライブが決まった時から、どうしても行きたい場所、この目でちゃんと見ておきたい場所がありました。未だ記憶に鮮明に残っている約1年4ヶ月前に起こった東日本大震災、その最前線の土地、仙台。今どうなっているのかも分からずに、海沿いの街まで車で向かいました。そこに広がっていたのは、一方的「無惨」に破壊された街。1年以上経った今でも、あの瞬間が鮮明に蘇る恐ろしい景色がそこにありました。テレビの中でしか知らなかった世界。分かっているつもりでいた自分。破壊された建物に入った瞬間、この出来事に対する今までとは種類の違う切迫感が溢れてきました。そこには、青空の下、今でも「死」「恐怖」「絶望」のにおいが漂っていました。子供が使っていただろう、おもちゃの小さなマニキュアが泥にまみれていました。そこにいただろう家族たちに毎日時間を教えていた時計が止まっていました。上と下が分からなくなる位に手も届かない天井には泥がこびり付いていました。この言い方が適切かどうか分からないけれど、昨日この目で見る事が出来て本当に良かった。どうしようもない現実がありました。だけど、それを越えて立ち上がろうとしている人々が沢山いました。本当に沢山。
昨日、僕の目に映った世界を写真に撮りました。事は、ドラマのようにテレビでやらなくなったから終わったという訳ではなく、今もそこで続いていました。この写真は「過去の記録」ではなく、「昨日、すぐそこにあった景色」です。
エバタヒロカズ