フォークロックを求めて7 | mizuochi understanding

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ロックンロールバンドのブログです。

こんにちは。


どこまで行くんでしょう?


フォークロックを求めて、


今回はちょっと寄り道です。


前回、ネオアコから渋谷系の話しをしました。

都会っ子に馴染めない事を書きましたが、その原点にあるのは小学3年の時。

僕ら一家は大阪から埼玉に引っ越す事になり、僕自身にも大きな転機となりました。



当時は漫才ブームなどもなく、関西弁はかなり良くない印象を一般的に与えていた様に思います。

また引っ越した埼玉も中途半端に切り開かれつつある街で、現在のさいたま市と隣接し、団地が立ち並び、東京からも多くの人が移住して来た時代です。

つまり、メジャーを意識した層が住み始めた時にひとり関西から来た者は異質で、共通のターゲットになりやすい状況だった筈です。

その様な状況に飛び込んだ7歳には、初めから大きな壁が待っていました。

『大阪から来た、ミズオチです』

イントネーションの違いに子どもはすぐ反応します。(なに、あの言葉、ヤクザじゃん、、、)

(へんな喋り、、、) みんな異質を見る目で、誰もが敵に見えました。

それでもすぐに友達を作れた僕でしたが、変に目立ってしまい、主流の連中からは度々嫌がらせを受けて、またそのクラスを仕切っていた主流の連中にいじめられていた層が僕を立ててしまい、クラスは主流派の6割、いじめられていた2割、中間層の1割に分かれてしまい、挙句主流派のボスとケンカになります。

ただそのケンカの場も面白くなく、単純に殴り合うとかでなく、言葉や周りを使った陰湿な精神的攻撃が多く、大阪の頃とは違うやり方から胃が痛くなる日々でした。


この体験から、都会っ子嫌い、関東嫌いは自然に僕の中に出来上がったと思います。


埼玉にはわずか数ヶ月で離れる事になり、すぐ大阪に戻ったのも尚更それを助長したかも知れません。

ただ大阪に戻る10時間以上の車の中では4トラのカーステレオからニュークリスティミンストレルス、ブラザーフォアなどのモダンフォークが延々と流れていました。

ただ単にテープの種類が無かったのでエンドレス再生されていたのですが、僕には飽きると言う事すらなく、楽しい気分で聴き続けていました。