僕のブログ、ここ最近ずっと
バンドに関係ない事ばかりでした。
何がロックンロールバンドのブログか、、、
ただ僕個人の愚痴っているブログじゃねーか。
そう言われても仕方ない、
そんな最近でした。
、、、、、、
そうなんです、実はコロナ禍以降
当然バンドは休止状態になり
メンバーとは疎遠になり
話し合いさえ出来ない状況となり
そのまま2か月過ぎました。
なぜか?
僕は相手との対立を見ないようにしていたから。
対立は避けたい、
対立は面倒くさい、
対立は腹立たしい。
しかし、それを避けていたらどうなるか。
対立を避ける、つまり対話をしなくなると
やがて対話のない関係になり
対話のない関係は関係がなくなる。
対話のない社会はどうなるか?
考えるだけで恐ろしい社会ですね。
今日の毎日新聞夕刊に
読書日記と言うコーナーがあり
劇作家の平田オリザさんが『〈対話〉のない社会』と言う中島義道著の読後感想が掲載されていました。
[違い]大切に面倒でも対話を
こんな見出しから、自粛生活の中でネット上の殺伐とした言葉のやりとりから、1997年に書かれたこの本がネットのリテラシーとして充分通用すると書かれています。
僕はその記事を読んでハッとしました。
対話の基本原理をいくつか上げている中に
相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること。
と、書かれていました。
まさに自分に言われたみたい。
これは改善しなければいけない、素直にそう思いました。
対話することで対立するかも知れない。
しかし対話もしなければ何も始まらない。
結果的にどうなるかはわかりませんが、まず、何よりも対話することに逃げていてはいけない。
そこから初めてみたい、そう思いました。