昔、ロック喫茶ってのがあった。 | mizuochi understanding

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ロックンロールバンドのブログです。

こんにちは。

今回はバンドの思い出というか

僕らが10代の後半から20歳前後の頃

ロックが楽しみのすべてで

バンド以外にやってたことは何も思い出せません。

レコードがCDに変わって行く過程で

何をして遊んでいたかと言うと

ロック喫茶なる不思議な空間があった事を思い出しました。


バンドの思い出
~ロック喫茶・その1 ミナミ BEATLES~

僕がロックを聞き始めた頃、テレビでロックが観られるなんて
想像もしていませんでした。
レコードがCDになり、土曜の夜に小林克也さんの「ベストヒットUSA」が始まって
時代は一気に動き出しました。
家庭用ビデオデッキがまだまだ高価だったころに

「ロック喫茶って知ってる?」

と、バンド仲間が誘って来たのです。
ロック喫茶店、ロックな喫茶店?どんな場所と聞いてみると
大阪のキタとミナミにあるらしく
なんとコーヒー1杯で1曲、見た事もないような
ロックのVTRをリクエストできるらしいとの事。

そりゃ、是非行ってみるしかない!と躍起になった僕らは
慣れないミナミの街へ出掛けました。
スタジオやライブで天王寺は出掛けてもミナミまで行く機会は少なく
土地勘なんか全然ありません。
教えてもらった通り商店街を北向いて右を見ながら歩き
キャバレーの看板を見つけて、居酒屋の横から地下へ潜る
階段を下るとユニオンジャックに店の名前BEATLESとありました。

店に入ると、足元さえおぼつかない暗さと大音量で圧倒されながら
すすめられたカウンターの隅に3人で腰掛け、コーヒーを注文して
リクエストの小さな紙を受け取りました。
僕ら3人は、後で分かったんですが3人ともThe Clashをリクエストしました。
店内にはレッドツェッペリンが流れていました。
最初は初めての店の雰囲気からドキドキワクワクしていましたが
少し慣れて、まだツェッペリンは続いています。
運ばれて来たコーヒーをすすりながらボンヤリ画面を眺めて
どうやらツェッペリンのコンサートフィルムらしく何曲も流れ、延々と30分ほどで
ようやく終わりました。
(次かな?)
期待していると、レインボーが流れました。
(おい、おい、リッチ―ハゲなんかイランねん!)
僕らは顔を見合わせ、音量で会話もし難い状況ながらも表情で会話していました。
これも3曲程掛かって、ようやく次は!?って思うとELPが掛かってガッカリ。

当時の僕らはハードロックなどは嫌悪していましたが、
良く考えると当時の大阪はハードロックやヘビィメタルの温床の様な
環境になりつつあった時代で、リクエストもそっち系が多くて当然でした。
そんな感じで1時間30分程待って、ようやくClashのロンドンコーリングが掛かりました。
僕らは待ちに待ったClashに狂喜し、お互いの顔を見あって喜びました。
しかし、店の方向性か1曲だけで終わり、ディープパープルが始まりました。
(えー!もう終わりかいな?)
その後も、待てど暮らせど延々ハードロック系ばかりの放映に
気が付けば僕らは3時間近く店にいました。
(出ようぜ!)
3人で店を出た時、すっかり夜の街になっていました。

「ハードロックばっかりやん!」
「クラッシュ、1曲で終わりかいな!?」
文句ばかり言いながらも、初めてのロック喫茶を無事経験し
この後、何かと言えばこの店へ足を運ぶようになりました。
バンド仲間と行ったり、大学の友人と行ったり、彼女とも行きました。

足を運ぶうち、パンク系はクラッシュよりピストルズの方がフィルムの種類が多かったり
当時はまだ見た事もないThe JamのプロモやThe Whoなんかは60年代のモノから
70年中期のコンサート映像など、比較的長く流してくれる事が分かりました。

とにかく時間はあったので、コーヒー1杯だけで粘っていました。
暗闇の中でボンヤリと好きでもないミュージシャンを見ているのは面白くなかったですが
あの空間で、誰にも見つからずに過ごせる雰囲気は他にはなかったと記憶しています。


何度か行って、慣れ出したある日、ちょっとした事件が起こりました。
これは次の機会にまた書きます。