子どもの日 | mizuochi understanding

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ロックンロールバンドのブログです。

こんにちは。

はしらーのきぃずはぁ おととしのぉ~

今日は子どもの日です。

僕も人の親となり、このブログなんかで昔をふり返っていると

親の有難みや、その頃の親の年齢なんかを照らし合わせて

自分をふり返ったりします。

僕の父は会社勤めの営業職で話す事が仕事でした。

しかし、家で仕事の話しを一度もしたことがなかったです。

父の会社に草野球チームがあり、僕が助っ人で参加した事があったのですが

会社での父が家での性格とまるで違っていた事に驚いた記憶があります。

家では座椅子に座ったらまず動かない。

身体を伸ばせば届く物さえ「それ」と言って誰かに取らせる。

家では、本を読んでいるかテレビを見ているか

音楽を聞いている時もありますが、レコードを掛けている動作は見た事がありません。

そして家ではほとんどしゃべりません。

その父が、外では常時笑顔で、よく話し、足取りも軽く、会社のみなさんに

爽やかに声を掛けて回っています。

ベテランの社員さんだけでなく、工員さん風の若手の方にも、誰にも

みんなが楽しく過ごせるよう、気配りしているのが分かりました。

そう言えば父は僕の少年サッカーにも関わっていて

経験もない癖にコーチまがいの事をしていたと思うと

知らないうちに市のサッカー協会など作って理事になっていたり

母から聞いて分かったのですが、チームが全国大会へ出る壮行会で

合唱団がチームソングを披露したのですが

その作詞を担当したり、それも変名を使って。

とにかく、よく一緒に遊んでくれました。

僕の友人で父の事を知らないヤツはいない程です。

そんな父ですが、間違いなく気は短かったと思います。

よく家族で出掛ける途中、些細な原因で怒りだし

お出かけがパーになる事も良くありました。

そして僕は良く怒られていました。

その原因のほとんどは僕がよく考えずに行動するので

論理的に思考する父には「なぜそうなんだ!」と激昂されました。

ちなみに、父は東京六大学出身で標準語を話します。

怒る時も標準語なので「ふざけるんじゃない」とか「何を言ってるんだ」とか

僕らが普段使っている関西弁のそれとは違って、逆に僕には妙に刺さりました。

それでも父の事をずっと尊敬していますし、憧れていました。

苦手な算数のテストで父の名を書いた事もあります。

ある日、僕が将来、父の様になりたいと伝えた時

「バカな事を言うんじゃない」と軽く流され、なぜかと聞くと

「人間はどんどん進化しないとダメなんだ。子どもが親を超えて行かないと

人類の進歩はないじゃないか」と諭されました。

僕にとって強烈に響いた言葉でした。

子どもは親を超えて行かなければならない。

確かにそうでしょう、しかし、実はお互い違った人間なのですから

何が超えて、何が超えないのか、それは判断する事は難しいかも知れません。



今、父は脳幹血栓から半身麻痺となりましたが

懸命のリハビリで自力で何とか歩くまで回復してきています。

そんな父を見ていると、立派だと思いますが

今は超えるとか超えないとか、そんなこと関係なく接しています。

僕の子どもが僕が父を思うようにはならないと思います。

しかし、親とすれば

子どもは自分よりはるかに大きくなって欲しいと願うのは当たり前ですね。