近所のスーパーマーケットに行ったら、
ローソクやお線香をたくさん売っていた。
「なんだろう?」と思って、POPを見たら
「春のお彼岸コーナー」とあった。

そうか。もうすぐ春のお彼岸なのだなと
気付いた。
今年は3月18日(金)~3月24日(木)までで
春分の日(3月21日)と前後3日を合わせた7日間が
春のお彼岸になるとのこと。

「彼岸」とは、仏教用語で「悟りの境地」のことです。
ブッダは、「最上の道を修める人は、此岸から彼岸に
趣くだろう」と語られた。


「此岸」とは煩悩にまみれたこの俗なる世界。
ご先祖様に手を合わせて感謝する時、
ご先祖さまも一日も早く彼岸へ渡れますようにと
祈ります。

 

合掌

日々、雑事に追われながら、

今日も一日が終わる。

煩悩に支配された凡俗な一日に

何の意味があるのだろうと

思う時がある。

 

煩悩即菩提。

 

有名な仏教の言葉だけど、

維摩経には「煩悩を断ぜずして涅槃に入る」

というセリフがある。

もちろん煩悩に振り回されることを

意味しているとは思えない。

よく味わうべき言葉だ。

テレビで「美の壺」「京の仏さま “あの世”巡り」という

番組を見ました。
京都市にある千本ゑんま引接寺の「閻魔法王像」が

紹介されていました。
閻魔法王が大きな口を開けているお顔は、

鉄の釜の真っ赤な溶液を飲む表情なのだそうです。
「閻魔法王が地獄に送った者が、今後、苦しむであろう苦しみを、
ご自分に課すために、鉄の溶液を飲み込まれる」と住職さんが
解説していました。
これを見て、『維摩経』の維摩居士が、「衆生が病気になるから、
自分も病気になる」という話を連想しました。
他者の苦しみを、自分も共に苦しむ。
憐れみの精神を感じます。

今日も休日なので、昔のアルバムを整理。

今から10年くらい前に行ったインド。

ブッダガヤのお釈迦様が悟りを開いたという

菩提樹の写真が出てきた。

(ブログにうまく貼り付けられなかったので、

またの機会にお見せする予定です)

たくさんのお坊さんが集まっていて、

近寄れなかった。。。

一生懸命、写真を撮ろうとしているお坊さんもいて、

何だかおかしかった(笑)

仏教徒にとって、憧れの場所ですからね。

私はお坊さんではないけれど、在家として維摩会で

仏教を学んでいます。

 

『維摩経』にこのような話があります。

光厳童子が維摩居士に「あなたはどこから来たのですか?」と

尋ねます。

維摩居士は「私は菩提の座から来た」と答えます。

光厳童子は「菩提の座とはどこですか?」と聞くと、

維摩居士は布施・布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の

六波羅蜜のほか、もろもろの煩悩や衆生、三界までもが

菩提の座であると語りました。

「菩提の座」を「道場」と訳している本もありますが、

ようするに、あらゆる場所が心を磨く場であるという

意味だと思います。

 

出家する僧侶の方々も素晴らしいと思うと同時に

維摩居士のように、世俗の中のあらゆる場面を

心を浄化する機会ととらえ、懸命に生きることも

素晴らしいことと思っております。

 

合掌

今日は土曜日の休日。

久々に以前に撮った写真の整理をしていたら、

インドに旅行した時の写真が出てきた。

お釈迦様が悟りを開かれたブッダガヤ、初転法輪を

されたサールナート、説法された霊鷲山や竹林精舎など

いろいろ訪れた。

(プロフィール画像は、ガンジス河の写真です)

インドを旅するきっかけは、維摩会で仏教を教わって、

興味を持ったから。

霊鷲山に登る途中、阿難の洞窟というのがあって、

阿難尊者が瞑想していた所らしいのですが、

チベット人の先客がいて、座禅していた。

ちょっとだけ入れてもらって一緒に写真を撮ったのが

懐かしい思い出です。

維摩会には春秋館という座禅道場があるので、

ずっと座禅しています。

最近はマインドフルネスがブームで自分を観つめることが

話題になっていて、良いことだと思う。

今、ウクライナで戦争が起こって、インドも微妙な立場に

あるけど、一日も早く世界に平和が訪れてほしい。

 

「百万の敵を倒すより、自己に勝つ者こそ、

 真の勝利者である」 (『法句経』より)

 

一日も早く世界中の人たちが国々を平和に往来できて

楽しく交流できる日がくることを願ってやみません。

合掌