前回、輪廻の話を書きました ニコニコ

日本にも、古くから輪廻転生の話が伝わっています。

 

江戸時代の国学者・平田篤胤が書いた

『勝五郎再生記聞』には、前世を記憶していた

勝五郎という少年の話が載っています。

 

勝五郎は、文化12年(1815年)に武州多摩郡

柚木領中野村(いまの東京都八王子市東中野)の

百姓・源蔵の家に生まれました。

当時8歳だった勝五郎は過去世を記憶していました。

 

勝五郎は「自分は前世では、程久保村(東京都日野市

程久保)の久兵衛という人の子で、藤蔵という名だった」「母の名は、おしづといった。自分が小さい時に父は死んで、その後に半四郎という人が来て、父になって

可愛がってくれたが、自分は6歳の時に死んだ。

その後、この家の母の腹に入って生まれた」と

語ったといいます 看板持ち

勝五郎は前世のことを、こう語りました。

「前世のことは4歳くらいまではよく覚えていたけれど、

だんだん忘れてしまった。

死ぬ病気ではなかったけれど、薬がなかったので

死んでしまった。昇天

息が止まった時はまったく苦しくなかったけれど、

その後しばらく苦しい思いをした。

それが過ぎると苦しいことはまったくなかった。

自分の体が棺桶の中に強く押し込められた時、

棺桶から飛び出して人々のそばに来ていた

山へ葬りに行った時は、棺の上に乗っていた。

棺を穴へ落としたとき、大きな音がして驚いた。

家に帰って机の上にいたが、人に話しかけても

聞こえない様子だった真顔はてなマークおばけ

その時、白髪を長く垂らし、黒い着物を着た老人が

『こっちへ来い』と言うので、誘われるままに後を追い、

どこともわからない段々と高い綺麗な草原に行って遊んだ。花がたくさん咲いているところで遊んだ チューリップ赤あじさいブーケ2チューリップ黄

その後、老人と一緒に歩いていると、

老人が家(源蔵の家)を指して

「この家に入って生まれよ」といった。

言われた通り家のそばに来て老人と別れ、

庭の柿の木の下に3日ほど立って様子をうかがっていたが、窓の穴から家の中に入り、竈の側でさらに3日ほどいた。

その後、母の腹に入ったように思うが、

よく覚えていない。生まれた時は全然苦しくなかった。

この他どんなことも4、5歳まではよく覚えていた

けれど、だんだん忘れてしまった

 

そして、勝五郎が「前世で住んでいた程久保の家に

行きたい」と泣くので、祖母は勝五郎を連れて、

約6キロ離れた程久保村を訪れました。

 

程久保村に着くと、勝五郎は「この家だ!」と

前世の家を見つけました びっくりハッ

家の主人の名を聞くと「半四郎」で

妻は「しづ」と答えました。

半四郎夫婦は「死んだ藤蔵が6歳の時に

よく似ている」と言ったそうです。

そして、勝五郎は喜んで、半四郎と一緒に

久兵衛の墓参りに行った・・・と、

『勝五郎再生記聞』に記されています。

 

その後、勝五郎は結婚して、野猿街道沿いの家に住み、

豊かな暮らしをしたそうです。

勝五郎は明治2年に55歳でこの世を去りました。

前世より長く生きることができたのですね ニコニコ

 

ちなみに、日本で「生まれ変わりはある」と

考えている人は42.6%いるようです。日本

 

仏教では、輪廻からの解脱を目的としています。

悟りを得るために仏教では「三十七道品」

(四念処、四正勤、四神足、五根、五力、

七寛支、八正道)などの修行方法が用意されていますキラキラ

 

明日も私は精進するため維摩会(春秋館)の行事に

参加します。

 

皆様が豊かな今生を過ごすことができますように

 

合掌お願い

 

 

参考文献:

日野市郷土資料館ホームページ

「仙境異聞・勝五郎再生記聞」(平田篤胤著、岩波文庫)

「生まれ変わりを科学する」(大門正幸著、桜の花出版)

「魂のゆくえ―平田篤胤『再生記聞』を読む」

(簗瀬均著、秋田魁新報社)