ゴールデンウイークの間に、撮り溜めしておいた
テレビ番組を観ることができました。
その一つが、『100分de名著「存在と時間」ハイデガー』
でした。
ハイデガーは、ドイツの実存哲学を代表する哲学者ですね
特に、番組の第2回『「不安」からの逃避』
(2022年4月11日放送)に出てきた「世人」という言葉が
印象に残りました。
「世人」とは「せじん」と読み、ドイツ語では
das Man(ダス・マン)です。
ダス・マンとは、自分の頭で考えず、日常に埋没するような生き方をする人のことです。
ハイデガーは『存在と時間』で次のように語っています
「世人とは、誰でもない人であり、この誰でもない人に、
すべての現存在は<たがいに重なり合うように存在>
しながら、自らを常に既に引き渡してしまっている。
私たちは、人が楽しむように楽しみ、興じる。
私たちが文学や芸術作品を読み、鑑賞し、
批評するのは、人が観賞し、批評するようにである」
すべての現存在は<たがいに重なり合うように存在>…と
いう文章には、「烏合の衆」という言葉を連想しました
「みんなが読んでいるからこの本を読もう」とか、
「有名な学者が評価しているから、この絵は
すばらしい絵だ」とか、私も、つい無思考に思って
しまいます
まわりの意見に合わせ、周りの人の価値観に迎合して、
自分で考えることを放棄して生きている自分・・・
ああ! 私はダス・マン…
しかし、ハイデガーは「すべての人が世人に支配されて
いる」と考えていたようです
私は維摩会(春秋館)で仏教を学んでいますが、
世人とはまさに仏教でいう「凡夫」といったところ
でしょうか
では、どうすれば人は自分の進むべき道を見出せるのか?
ハイデガーは、人はいつか死ぬことを自覚することで、
死までの限られた時間を生きようと決意(先駆的決意)
することができると説きます。
続きはまた明日。
皆様がダス・マンから脱却できますように。
合掌