何本も購入しては、去っていった。
残っているギターは愛着やサウンドが好きだったりする。
一番、最初に手にしたギターは、フェンダージャパンの真っ白なストラト。
ショートスケールだったなぁ。
16才で、名古屋の伏見のヤマハ楽器で買ったな。
基本、スタンディングボーカルだったから、自宅でチョロチョロ触る位だった。
上京の際も、ギターは持って来なかった。
意識の変化は上京して、初めて組んだバンド【JOHNNY BLUE】で、これじゃいけないなって感じてね。曲は、アカペラ歌メロで伝えていたなぁ。
当時は、まだ今みたいにライヴハウスが沢山無くて、渋谷ラママや、高円寺レイジーウェイズ、目黒鹿鳴館、ライヴステーションとかに出演してたよ。
凄く、レベルの高いメンバーでさ、名古屋時代の連中とは、訳が違う。
知らない音楽を沢山知っていた。
俺、以外はイシバシ楽器の店員だった。年上のお兄ちゃんって感じ。
みんな、上京して本気で楽器演奏のプロを目指す奴ら三人。
ラママのオーディション、一発で合格した時は、感謝したよ(笑)
当時は、オーディションライヴが、必ずあったしね。
意識は、ボーカリストなんだけど、シンガーソングライターってのかな~自分の世界感で、曲を書かないと、東京じゃ通用しないだろうって直感してね。
それからは、エピフォンの安い黒いアコギをすぐに買いに行って、その夜に、路上で弾き語りをやったよ。
21才当時、住んでた蒲田駅の前で。
それからは、新宿、渋谷、横浜西口あたりで、何かにとりつかれた様に週末の夜は始発まで、歌っていたな。
当時、付き合っていた女性は呆れて、気付いたら荷物ごと、部屋から消えていたよ。(笑)
そりゃそうだ。
全く、デートなんてしなくなっちゃうし、路上で歌うと色々と、心配かけたりしたしね。
時には、その街の怖いお兄さんに絡まれたり、警察ともめたり、路上って刺激がいっぱいだからね。
あの頃のバンド活動や、路上の経験で、今の基本スタイルが出来たと思う。
あの、メンバーには感謝だね。
それからは、グレッチのテネシアンをローンで購入。
THE TIST結成前だけど、バンドイメージや曲は書き下ろしてたよ。
結局、売り飛ばしてしまったけど。
今も、基本、スタンディングボーカルスタイルは変わらない。
けれど、自分に挑戦の意味も込めて、時には独奏弾き語りをやらないと、なんだか危機感みたいな物がある。
次回は12/10(thu)吉祥寺GBで、独奏ライヴやります。
是非、THE TISTとは違う、おいらを感じに来てくださいね。
Android携帯からの投稿
