№234 R2.8..3.投稿
「 かえって いがったっちゃ 」
震災から一か月後
遺体の取り違えという現実とともに
遺骨となった母が帰ってきました
それから数か月して
やっと葬儀を行えるよう決まったとき
沢山の方々が葬儀の前に
お線香をあげに来てくださいました
本当に親身になってくださった方は
既に 周りの人から遺体の取り違えという現実を知り
私たち家族に励ましの言葉や
生前の母との思い出を教えてくださって
今でも深く感謝しているのですが
未曽有の災害時とはいえ
遺体の取り違えは人の興味を引いたのでしょうか
中には
親身になってくださる人の陰に隠れて
興味本位の人も紛れていて
津波の時母がどこにいたとか
直前までどんな様子だったとか
どうして取り違えられたのかとか……
お悔やみの言葉と一緒に
いろいろな質問をされました
既に取り違えられた先で火葬され
母の身体はありませんから
葬儀では帰ってきた遺骨を見送ることになりました
私たち姉弟を生んでくれた母を
やっと見つけた母を
こんな形で見送るのかと想うと
私は底なしの暗闇に どこまでも 深く
落ちていくような心持ちでいました
そんな中 ある方から
遺体の取り違えのことや
火葬のない葬儀のことを聞かれ
挙句 最後には
「 んでも かえっていがったっちゃ
あっちで 火葬してもらったんだおん
こっちで 火葬しねくてもいいもの
こいな時だもの いがったっちゃ 」
( でも むしろ良かったじゃない
取り違えた先で火葬してもらったもの
本当の家族の方で 火葬しなくていいもの
こんな時だもの 良かったじゃない )
そう言って その人は帰って行きました
( 遺体が腐る前に お金もかけずに
取り違えた先で火葬してもらって良かった
そのような意味でした )
この人は きっと知らないでしょう
想像すらできなかったのでしょう
私が 遺体の取り違えが起きたと知ったとき
もしかして 取り違えられたのではと疑ったとき
真っ先に考えたのは
「 今 すぐにでも見つけないと
母は 違う家族のお墓に入ってしまう
もう永久に私達のもとに帰ってこない 」と言う事です
もう二度と お母さんに会えなくなると感じ
私は 苦しくて仕方がなかったのです
ですから 遺体安置所で
人間の心など忘れ 我が身を忘れ
人でなしになり果てて探し回ったのです
急いで 焦って 探し回ったのです
見つかった時には
もう 母の身体は残っていませんでした
それでも
胸の中でずっと一緒に生きていると想うのは
そう強く自分に言い聞かせるのは
自分にしか向き合えない災害の現実を知ったからです
災害の現実を知らなければ
不意に誰かに棘を向けるかもしれません
いつかその棘は
自分や自分の大切な人に深く刺さるかも知れません
命を喪わないように
心を喪わないように
我がこととして
ご家族や大切な方々と
シェアをして頂ければ幸いです
どうぞよろしくお願い致します_(_^_)_
#語り部佐藤麻紀
