№203.R1.5.9投稿
「 比べられない 」
語り部をしていると
ご家族をなくされた方とお話しする機会が多くあります
その会話の中で
「 でも 佐藤さんに比べたら
私は(家は)まだ ましな方です
かける言葉も見つかりません 」
そのような言葉によく出会うことがあります
でも いつもその言葉に想うのは
誰がどんな状況で亡くなったにしろ
私より「 まし 」というのは
あり得ないという事です
その亡くなった理由が
災害であっても 病気であっても 寿命であっても
突然のことであっても
長い時間を耐えた後でも
愛する人を喪った 痛みや 悲しみ つらさは
誰とも比べるものではないと強く感じるのです
自分の愛する人が亡くなってしまったら
その痛みを知るのは
他の誰でもない自分自身です
あの人の死より
この人の死の方が悲しいなんて
いったい 誰にはかることが出来るのでしょうか
災害であっても 病気であっても
寿命であっても 事故であっても
愛する人を喪うのはつらいものです
だからこそ
事前に防げるものは
防がなくてはいけないと思うのです
また 私が語り部を続ける真意を知らず
「 世の中には
もっとつらい思いをしている人がいるのだから
震災のことを忘れて頑張りなさい 」
「 語り部を続けているから
亡くなったお母さんやお祖母さんを
繰り返し思い出して 震災の辛さや
苦しい思いを悪化させているだろうから
語り部なんて やめてしまいなさい 」
そのように言われることもあります
私は
震災のことを忘れずに生きる覚悟をしたのです
亡くなった母と祖母と生きる覚悟をしたのです
心の軋みや 悲しさや 痛みや 辛さ
心に湧き上がるものと向き合って生きるのです
忘れられるはずのないものを
どうやって忘れて生きたらよいのでしょうか
私の母と祖母を
どうやって忘れたらよいのでしょうか
今日も
私の胸の中で生きる母や祖母に
楽しいこと 嬉しいこと
きれいな空や 大好きな音楽や 美味しいものを
届けながら生きるのです
震災の体験を聴いてくださった方が
「 自分の家族とちゃんと話したよ 」
「 何があっても生きて再会する約束をしたよ 」の
その言葉に力をもらって語り続けるのです
一人一人が違うように
心の在り方が違うように
震災後の生き方や 向き合い方も違います
被災の度合いも 再建の度合いも違うのです
理解されなくてもいいのです
ただ 被災前に当たり前とされていたことが
出来なくなった人もいることを
知っていて欲しいのです
以前のような生活が取り戻せず
ものの考え方や視点 心の置き所が
変ってしまった人がいることを
知っていて欲しいのです
住む場所が定まらず
お墓が作れない人もいます
子供に充分な勉強させてあげられない家庭もあります
家族分に足りる食器も
用意できない家庭があります
心が荒んで 苦しんでいる人もいます
誰にも心を開けなくなった人もいます
新しい土地になじめない人もいます
そんな精一杯の生き方を
当たり前といわれる生活が出来ない生き方を
蔑み憐れむのなら
どうか そっとしておいてください
私達は今日という何気ない一日に
小さな希望を見出して生きているのです
出来ましたら
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#語り部佐藤麻紀