№184.H30.11.5投稿 「 結果を生むもの 」
私が物心つくかつかないか
そのように小さなときから
津波の話と戦争の話を
祖母から教えられて私は育ちました
それはもう
何度も何度も同じ話の繰り返しでしたから
自分でも祖母の口真似までして
暗唱できるようになってしまいました
「 麻紀 いいが
津波っつうのはな
うんとおっかねぇ( 恐ろしい )んだ
津波っつうのは
海の水 沖の方さざぁっと引いで行って
海の水ねぐな( なくなる )んだ
海の水ねぐなって 海の底見えんだがらな
海の底見えで 魚っこぴつぴつ跳ねんだ
おめ( お前 ) そいづ
おもしぇがって( 面白がって )
取りさなんか行ったら
おめの命取らいんだがらな
ぜってぇ 行ってわがんね( だめだ )ど 」
「 麻紀 雄勝は細い湾だがら
一波で逃げだど思って安心してわがんねど
一波引ぎきんねうぢに
二波・三波って波重なって膨らむんだがらな
もっと高げどごさ逃げねげわがんねど 」
大きな地震が来るたびに
津波の話が出るたびに思い出す祖母の言葉で
生涯伝え続けた祖母の遺言ともいえる財産です
震災前の私にも
知識としては充分すぎるくらい伝わっていた言葉です
この言葉は津波を体験した祖母から
「 知識 」として受け取ったもので
私たち家族の頭の中や胸の中で
家族全員が共有しているものと思い込み
いざとなったら みんながその知識に見合った
避難行動をすると思っていました
しかし
東日本大震災で実際に津波を目の前にしたとき
家族全員が知っていたはずの
津波に対する「 知識 」は
「 不確かなもの 」として
その姿を現しました
知っていたはずなのに
喪いたくない人を喪ってしまった
私の頭の中・胸の中にあった「 知識 」は
同じ話を聞いていた家族全員にとって
同じ深さの
認識と理解を持たないものだったのです
海のない町から嫁いできた母
子供達を育てる身になった私
日中 仕事で家を離れている父
津波の体験があっても
年を取り若い時のように動けなくなった祖母
同じ話を聞いていても
置かれた状況によって
受け取り方が違う
想像する避難行動が違う
心配な事・気がかりな事が違う
もし 心配な事や気がかりな事を
お互いが打ち明け合っていたなら
改善策を相談し共有していたら
みんなの目の前に明らかにしていたなら
母と祖母を喪わずに済んだのかもしれない
私の記事をご覧くださっている皆さんには
災害時の話を知りたい 災害に備えたいという
意識をお持ちの方が
多くいらっしゃると思います
ですが
本当に災害の話題を伝えるべき人は
「 災害は自分と関係ない 」
「 怖いから知りたくない 」
「 その時はその時だ 」と思い
ご自分から遠ざけている方々なのです
語り部や記事を書いてお伝えするのは
私なりの伝える方法ですが
皆さんには ご自分のご家族や
今まで災害の話をしたことのない方々と
「 災害の時 私達はどうなるのだろう 」
「 あなただったらどうするの? 」と
思いつく限りの相談をして頂きたいのです
「 なにがあっても必ず生きて再会しよう 」と
強く約束して欲しいのです
一度だけではなく
ご自分と喪いたくない人の命のために 何度でも
皆さんの 「 話す 」という行動が
「 結果を生む 」ことに繋がるのです
家族や身近な人と話すだけ
とても小さなことかもしれませんが
この目の前の小さなことが出来なければ
ご自分の命を守ることも
大切な人の命を守ることも
大勢の命を守ることも出来ないのです
出来ましたら
皆様のページでのシェアをお願い致します
皆様の大切な方とご覧ください
#語り部佐藤麻紀