№176.H30.9.8投稿 
  「 心の在りよう 」
 
大きな災害で
ある日突然愛する人を喪うと
その人が亡くなったことを
すぐには受け入れられないのです
 
7年前のあの日あの時まで
いつでも簡単に会えることを疑わなかった
母と祖母が亡くなりました
津波で亡くなりました
 
祖母の遺体には
遺体安置所で逢うことが出来ましたが
母の遺体は他の方と取り違えらえ 
既に火葬されていました
警察の皆さんの手をお借りし捜査を経て
私の母だと確定し 遺骨を引き渡してもらうまでには
津波から一か月と一日かかりました
 
その一か月と一日の間

災害のさなかに置かれた状況で
続く余震から
飢えや寒さから
不安や恐怖から
生き残った家族の命を守ること
ただただ そのことだけで精一杯
 
母と祖母が亡くなってしまったのに
大好きな大好きな
母と祖母が亡くなってしまったのに
 
嘆き悲しんでいる余裕はどこにもなく
知らずにこぼれている涙を
子供達の前で笑い顔で拭っていました
 
津波のその時
生と死が目の前に真っ平の並んでいましたから
あまりにも
死というものに近づき過ぎましたから
そのことは すぐに手の届く存在になっていました
 
どうして母と祖母と一緒に死ねなかったのだろう
助けに行けなかった私のせいではないか
お母さんにも お祖母さんにも
もう二度と会えない……
 
あの日 自然災害に嫌と言うほど心を裂かれ
人間の非力さを理解したはずなのに
自分を責めて責めて 体中が怒りでいっぱいでした
怒りで体中の血をたぎらせながら
笑い顔を貼り付けて被災の時を過ごしていました
 
周りの人たちの家族も大勢亡くなってしまった
例え家族が無事でも
親戚の誰かが亡くなっている
大切な人を喪ったのは私だけではないのだから
取り乱してはいけない 声を立てて泣いてはいけない
 
みんなが被災して不安の中にいるのだから
取り乱してはいけない 声を立てて泣いてはいけない
誰にも気を使わせてはいけない
しっかり立っていなければいけない
 
笑った顔を作り 
袖の中で爪が食い込むほど 
握りこぶしをぎゅっと握り込み
母と祖母が亡くなったことを理解できないまま
その時その時を生きていました
 
ですから
母が遺骨となって私の元に戻った時
誰からの慰めの言葉も 
理解が出来無い状態になっていました
 
母が遺骨で戻ったことを知った人に
「 お母さん骨になって戻ってきたげっと
  良がったっちゃ 
  あっちで火葬してもらったんだもの 」
こう言われました
 
確かに 火葬場も被災して
どこもすぐには火葬できない状態でしたから
この言葉をかけてくれた方にしてみれば
きっと 慰めの言葉だったのです
 
こんな時だから 
他人様にでも火葬してもらえたのはいいことなの?
自分たち家族で見送れなかったのは仕方がないの?
被災って そういうものなの
被災って それが当たり前なの
 
当時の私には 誰からの慰めも
どんな優しい言葉も理解できなかったのです
むしろ 言葉は心をかき乱す材料でした
 
母と祖母の死以降 私が倒れこまずに済んだのは
命を繋ぐことが出来た家族が
黙ってそばに居てくれたからなのだと思います
私が涙を流した時
一緒に涙を流して頷いてくれる人がいたからです
 
災害で突然愛する人を喪った方々は
ご自分の身も心もすべて後回しの状態のはずです
今 寄り添って頂いて安心できる人もいれば
私のように時間が必要な人もいます
みんながみんな 同じ被災状況ではなく
心の在りようもマニュアル通りではありません
ご家族を亡くされた方の姿は
遠くの地の見知らぬ誰かではないのです

 
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