№167.H30.6.26投稿 「 本物の絆 」
震災翌年から全国各地に呼んでいただいて
震災の語り部をしていなければ
お会いすることのできなかった方々と
当時のお話しをする機会に恵まれています
語り部の時間として設定して頂いた以外の時間
その時間も被災者の私にとって
震災後を生きるための糧を得る時間なのです
被災していない方々から見たら
あの日の東日本はどのように見えていたのだろう
どのような感情で遠い地の被災を感じていたのだろう
今 皆さんが不安に思っているのは何だろう
その様な質問をさせて頂いております
呼んでいただいた地域に滞在できる短い時間の中で
出来るだけ沢山のお話しが出来るように
自分にできる精一杯の気持ちをもって
お会いすることを心に決めて語り部をしています
被災後 よく耳にする言葉の中に
「 絆(きずな) 」というものがあります
この言葉の本来の意味を調べると
「 家畜を繋ぎとめるための綱 」 ということから
しがらみ・呪縛・束縛という意味合いが本来のもので
人と人との支え合いや結びつきを表すようになったのは
ごく最近のことなのだそうです
誤解をして頂きたくないのですが
決して被災地や被災者の繋がりを表す為に
この「 絆 」という言葉が
不適切だということではありません
現在では 後者の意味合いの方が一般的でしょう
ただ問題なのは
この絆という言葉が独り歩きしていることなのです
震災後 なぜ一様に人と人との支え合いを表す
「 絆 」という言葉が
標語のように掲げられたかということなのです
本来 人と人との結びつきである絆は
何度も何度も交流を重ね
お互いのことを知らなければ
得られないものではなかったでしょうか
被災地のこと 被災者のこと
そして災害の本当の恐ろしさを知らずに
この言葉を便利に使ってはいないでしょうか
語り部で伺う先々で
「 東北の人たちがあんなに苦しんでいる姿を見て
とても心が苦しく それなのに
何もすることができない罪悪感があります 」という
あの日被災せずに難を逃れたご自分に
強い罪悪感を感じている多くの声を伺っています
この声を聴くたびに
被災しなかったからといって
罪悪感を感じる必要などないのにと
私はとても心苦しい気持ちになります
そして それと同時に疑問がわいてきます
大きな災害以降掲げられる「 絆 」という言葉は
このような罪悪感から生まれてはいないでしょうか
被災者となって7年
語り部を始めて6年
私の周りでは新しい絆が生れ育っています
震災の体験談という同じ話しかしない私を
何度も繰り返し呼んでいただき その度に
命を守るための相談が出来るご縁が育っています
本当に有難いことです
自分の命 かけがえのない人の命を守るためには
それ相応の知識と準備が必要なのです
危険なものの正体を知ること
危険なものから身を守る方法を考えること
大切な人と相談して備える事
被災者である私達との絆は
災害から命を守る話を抜きにしてはあり得ないのです
私達は生き地獄を見た人間なのです
命を疎かにする人との絆は欲しくありません
どうか 一人に一つしかない命を喪わないでください
もう誰も悲しませないでください
私が「 絆 」という言葉に思うのは
「 本物の絆であれ 」という深い願いなのです
いつも記事をシェアして頂き有難うございます
出来る限りシェアしてくださった皆様に
お礼のコメントを入れさせていただくのですが
設定上こちらからコメントできない場合があるようです
大変失礼ながらこの場にてお礼を申し上げます
本当に有難うございます_(_^_)_
#語り部佐藤麻紀