№159.H30.4.27投稿 「 祖父の反対 」
私の祖父はスレート屋根職人でした
小さい頃の私は
いつも祖父の後を追いかけて遊んでいましたから
お人形遊びやおもちゃで遊ぶことはほとんどなく
祖父がのこぎりの刃を研ぐ様子や
スレートを思い通りの形に整える姿を見て育ちました
仕事にはとても厳しい人でしたが
私が仕事道具をもって祖父のまねごとをしても
決して叱らず 使い方を教えてくれました
祖父は私が結婚する前に亡くなりましたが
それまでに 沢山のことを学ばせてもらいました
津波や戦争の経験を話すことが無かった祖父でしたが
雄勝病院が海辺の道路沿いに建てられた経緯を
私達家族には伝えてくれていました
病院が建てられていた地域は硯浜という地区です
祖父はこの地域に一番最初に移り住んだそうです
当時 固い山裾を整地するために 発破をかけましたが
ほんの少ししか崩せない程堅い岩盤だったそうです
そこに家を構え暮らしていくうちに
雄勝町の病院建設の話が持ち上がりました
海側の道路沿いに雄勝病院が建てられる
その話を聞いた祖父は
必死になって何度も反対したそうです
反対の理由は以下の通りです
●津波が来たら海に面した病院は
真っ向から波をかぶってひとたまりもない
●病院に入院している患者は
体が思うようにならないので避難できない
●万が一 それでもこの場所に病院を建てるなら
車椅子でも直ぐ安全にに避難できるように
病院から山まで スロープを繋げる必要がある
祖父がこの様に何度も役所に掛け合ったそうですが
その意見は一つも聞いてもらえず 病院が建てられました
東日本大震災の際には 屋上に避難した人たちも
病棟で逃げられずにいた人たちも
近くの山に避難することが出来ずに
屋上の上から建物ごと波にのみ込まれてしまいました
あまりにも多くの人が亡くなってしまいました
なぜ このような危険な場所であるにも関わらず
病院建設を強行したのでしょうか
例えば 私がこの様に役所に問い合わせてみたとしても
多くの犠牲者を出してしまった津波の後に
雄勝病院は早々に撤去されていますし
当時 役所で担当された方がいるわけではありませんから
誰にも的確な回答は出来ないでしょう
では 雄勝病院での被害を受けて
私達は今後何を変えていかなければならないでしょうか
皆さんがお住まいの地域でも
体の自由が利かない人やお年寄りが集う施設
一斉避難の難しい保育所や学校は
本当に今ある場所で良いのでしょうか
そのような施設や建物が
新たに危険な場所に建てられてはいないでしょうか
母と祖母が雄勝病院の中で亡くなり
私は 何度も何度も繰り返し
震災前 震災の時 震災後と
この壮絶な時間の流れを反芻して考えるのですが
何度考えてみても
避難行動が難しい人の集まる建物自体
有事の際に みんなが避難してくるような
安全な場所に建てられ
そこに備蓄品や薬などが備えられるのが
当たり前なのだという結果に行き着くのです
今から そんな大きな建物を安全な場所に移築したり
改めて建てる費用がないと言われるかもしれません
そんなのは理想であって
現実には難しいと言われるかもしれません
しかし 復興という冠を掲げて
被災地で本来必要のないものに使われたお金は
そこに必要な費用以上にあったはずです
決して無理難題ではないと思うのです
私には 祖父が生前
海沿いの病院建設に反対したことを
悔しそうに話してくれた気持ちが
痛いほどよくわかるのです
私の思いを綴った記事ですが
皆様のお心に触れる記事がございましたら
ご家族や大切な方々と
シェアをして頂ければ幸いです
どうぞよろしくお願い致します_(_^_)_
#語り部佐藤麻紀