№158.H30.4.24投稿 「 最大の親不孝 」
町で母と同じ年配の女性が
親子連れで買い物をしている姿を目にすると
例え それがけんか腰に話している姿であっても
私には とても幸せそうに見えます
ずっと思っていました
父や母を いつか旅行に連れて行き
生み育ててもらった感謝の言葉代わりに
親孝行の真似事でもできたらいいな
父も母も私たち姉弟を育て終え
これまで苦労をした分以上に幸せでいて欲しい
でも そんな想いを伝えることも
親孝行の真似事もできないまま
私の母は震災で亡くなってしまい
父は母のいなくなった震災後を生きています
津波の波が引いた後 父は私や孫を探しに
山伝いに火葬場まで来てくれました
普段も津波の時は山に逃げるということだけ
それだけは話をしていましたが
あの日の津波はあまりにも大きすぎたのです
父は 私達が高台の避難場所より上にある
火葬場にいるのではないかと検討を付けたのです
父が避難した場所から 私の避難した火葬場まで
普段の道を通れば 大人の足でも30分程ですが
津波の後 通ることが出来ずに
山伝いに半日かけて探しに来てくれました
山の道なき道を来た父の姿は傷だらけで
着ていた服もあちこち裂け 足元は泥だらけでした
父と再開した後
祖母と母が病院で亡くなったことを告げられました
普段家族に涙を見せたことのない父が
ぼろぼろ ぼろぼろ
火葬場のコンクリートに涙を垂らしながら
それでも 私に伝えてくれました
祖母が亡くなったことは
聴いたとたんに理解できました
しかし 母が亡くなったことを聴いたとき
どうしても どうしても理解できずに
咄嗟に私は父を責めました
「なんでや! なんでお母さん死んだって!
なんでお母さん死がねげねって!
なんでや! ……なんでや…… 」
私が今まで生きてきた中で最大の親不孝です
自分の母と妻を目の前で亡くし
我が娘や孫が生きているかと探してくれた父を
私は責めてしまったのです
山を掻き分け 火葬場にたどり着くまで
父は想像できない程の想いを巡らせていたはずです
その重たい想いを胸に
ただひたすらに山を掻き分け足を進めたはずです
その父を私は責めてしまったのです
私はあの津波で
後悔してもしきれない事ばかりしているのです
遺体安置所で血眼になりながら母を探した時も
自分は「人でなし」なのだと思いました
でも人でなしにならないと母は見つけられない
それを当たり前だと思うようになっていました
人でなしが 流れている自分の涙にも気づかず
決して喪ってはいけなかった愛する人を探すのです
語り部をしていて いくら人様から感謝頂いても
私の根底にはこのような現実があるのです
皆さんは 決して
私のような経験をしてはいけません
こちら側に来てはいけないのです
皆さんが伝えなければいけないのは
災害で命を喪わないために
今 何をするべきかということです
そしてそれを実行することです
災害が起きてから
大切な人が亡くなってしまったという事は
決してあってはいけない事なのです
いつも記事をシェアして頂き有難うございます
出来る限りシェアしてくださった皆様に
お礼のコメントを入れさせていただくのですが
設定上こちらからコメントできない場合があるようです
大変失礼ながらこの場にてお礼を申し上げます
本当に有難うございます_(_^_)_
私の思いを綴った記事ですが
皆様のお心に触れる記事がございましたら
ご家族や大切な方々と
シェアをして頂ければ幸いです
どうぞよろしくお願い致します_(_^_)_
#語り部佐藤麻紀