№156.H30.4.9投稿 「 春の風景 」
新しい年度がスタートしました
皆さんのご家族やご近所の方にも
新学期 新生活を迎えられ
中には 初めて住む土地での
生活を始めた方もいらっしゃることでしょう
震災のあった年
被災した人が新しい年度のスタートを迎えたのは
子供たちの制服や運動着 ランドセル 学用品や
ワイシャツやネクタイ 初めての革靴 会社の制服
新たなスタートを切るために用意されたものが
瓦礫と化してしまった混沌とした春の中でした
うちの娘が ちょうど中学に進学する年で
少しずつ貯金していたお金で購入した制服は
娘が恥ずかしそうに一度だけ 袖を通した後
今はどこに行ったのかも分かりません
だいぶ遅れて行われた卒業式も
子供達は新潟に避難の最中でしたから
夫と私で参加しました
娘が避難生活中 一時転入した新潟の中学校では
学校側のご配慮で
校長室で小さな入学式をしてくださいました
夫の妹と義父母も呼んでいただきましたが
私達夫婦は新潟に行ける状況になく参加できませんでした
私の記憶にある 震災の春には
梅や桜を愛でた記憶がありません
子供たちの 嬉しい新学期の記憶がありません
卒業式も入学式も寄り添ってあげられなかった
ただ その後悔ばかりの苦い思い出があるだけです
それでも 今 私は幸せなのです
家族と暮らせる有難さが
この身に染みて痛いほど よくわかるのです
出来る事ならば
亡くなってしまった母と祖母と
暖かい春を迎えたかった
中学生になった娘の姿を見せてあげたかった
4年生になった息子の姿をみせてあげたかった
新年度が始まるこの時期
叶わないことと充分承知していながら
今でも そう願わずにはいられません
いつか泣かずに語り部ができるようになったら
嬉しい春を迎えることが出来るでしょうか
いつも気付くと泣きながら話している自分に
「 今日もダメだった 泣いてしまった 」 と
苦い思いを幾度となく反芻しているのです
普段泣かない自分の
どこからこんなに涙がわいてくるのか
不思議で仕方がありません
震災後を生きるのであれば
母や祖母のように強くならなければいけない
いつもそう思うのですが
なかなか 難しいものです
こんなに穏やかな春の日であっても
突然 日常の生活を切り裂くのが災害です
例え災害にあったとしても
大切な人の命とご自分の命が
引き裂かれることがあってはいけません
ある日を境に 心を喪うことがあってはいけません
皆さんが
大好きな人と 大好きな風景を
ずっと一緒に眺めることが出来ますように
私はいつも そう願わずにはいられないのです
私の思いを綴った記事ですが
皆様のお心に触れる記事がございましたら
ご家族や大切な方々と
シェアをして頂ければ幸いです
どうぞよろしくお願い致します_(_^_)_