震災で今まで住んでいた土地を離れて
別の土地に住まざるを得なくなった人を
「 ふるさとを捨てた裏切者 」と蔑む人がいます
 
これは 同じ故郷の仲間が
言った言葉だと思われるかもしれませんが
私の目の前でその言葉を得意気に投げかけた人は
雄勝町に住んでいた人ではありません
 
その人は
私たち家族が 故郷を離れた場所で
避難生活をしている人間だとは知らなかったのです
 
あの日 家を失った私達は
好きで故郷を離れたのではありません
 
避難所自体が津波で流出し 
山の上にある建物を探して避難した私達には
運良く雨風をしのげる建物を見つけても
本来の避難場所に避難出来たわけではありませんから
救助してもらえる保証はありませんでした
 
また 子供を連れて逃げる私には
再度津波が来るかもしれない雄勝にいることが
恐ろしくて仕方がなかったのです
早く 峠を越えて
安全な場所に逃げたいとばかり思っていました
 
そして 雄勝町には遺体安置所がありませんでした
全ての遺体は 雄勝町の峠を越えた
徒歩で通うのが難しい場所にありました
そのまま雄勝にいたのでは
亡くなって搬送された母と祖母を
探すことが出来なかったのです 
 
雄勝町から河北中学校の体育館へ避難して
そこから 子供達と義父母は新潟へ
私達夫婦は叔父の家においてもらい
遺体を探し出して
家族で身を置ける場所と物資を掻き集め
少しでも早く子供達を迎えに行けるように
石巻市で避難生活を送ったのです
 
ずっと ずっと そして今でも
生まれ育った雄勝に帰りたいと思っています
 
しかし
一旦雄勝を離れて震災後の避難生活を始めると
様々な問題が立ちふさがります
 
子供達は新潟に避難した際に
あちらの学校に転入しています
その後 石巻に戻ってから
借り上げ住宅に一番近い学校に転入させました
その状況で 雄勝の小中学校が再開されたと言って
再度雄勝小学校に転入することは
傷付いた子供達の大きな負担となるのは明らかでしたし
車で通う距離を通学させることが恐ろしかったのです
再度の災害を考え
出来るだけ私から子供達を離したくはなかったのです
 
事情はそれだけでなく
様々なことが重なりに重なりました
 
亡くなった家族を探しながら
住む場所や物資を探し
子供達を学校に通わせ
年老いた親を抱え
必要最低限の衣食住もままならない私達にとって
雄勝町の復興はあまりにも遅すぎました
この間 避難生活をしていた人達が
いったい何人亡くなってしまったでしょうか
 
命と生活を守るために 
他の土地に避難せざるを得なかった人々は
果して 「 ふるさとを捨てた裏切者 」でしょうか
まるで変ってしまった雄勝に帰れないのは
私達のせいでしょうか
 
被災したみんなそれぞれに
自分達が望んだように出来ない背景があるのです
いつも 言うように
災害時は通常の倫理観も観念も通用しないのです
そのことを 知らなかった私は
震災前とは大きく考え方や価値観が変わりました
 
被災した人が
人から蔑まれることは珍しいことではありません
何も悪いことをしていなくても
当たり前のように 我が身に降りかかることなのです 
災害とは 人間を変えてしまう恐ろしいものです
その恐ろしい災害の姿を知っていてください

 

私の思いを綴った記事ですが
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#語り部佐藤麻紀