長々と投稿を休んでしまいました
また 時間の許す限り
震災の記事を投稿させていただきたいと思います_(_^_)_
 
№145.H29.12.14投稿   「人に寄り添う心」
 
語り部の私と被災者の私
もちろん まぎれもない同一人物です

被災後の生活再建にかかわる事柄をしようとすると
何度となく被災者として見下される自分がいます
 
被災して
家が流されて
被災しなければ
そこにあるはずだった人生が変わり
一緒に寄り添っていたはずの大切な人を喪い
震災当時 ぼろぼろの格好だった私達
 
そんな私達が人生の敗北者に見えるのでしょうか
それとも
私達の神経が過敏なのでしょうか

普通に会話をしている様にして
ことばの端々に見え隠れする差別のようなもの
それに黙って耐えていると
震災後の仕事について質問をされることもあり
「 仕事ではありませんが
  震災の語り部をさせて頂いています 」の
この たった一言に
あからさまに 態度が変わり
声も穏やかになり 早急に会話を切り上げられます
 
きっと どこかで 
名前を出して
その人の態度に差別を感じたと
話されると思われるのでしょう
とても 悲しいことです
 
ですから できる限り
生活再建に関わる事柄を進める時には
語り部であるということを知られないようにします
そして 被災者としての私に降りかかる事柄を
しっかりと見極めなければならないと強く思うのです
 
一被災者である私に起きる
残酷な本音の部分を
一語り部である私は伝えるべきだと感じています
決して個人攻撃に発展させず
問題点として残すべきだと思うのです
 
なぜなら これは 
震災後に起きている人々の心の一部分だからです
人災は 多かれ少なかれ必ず存在し
被災者の身に降りかかるということです
 
そのような背景を背負って
震災後生きてきた私達は 
果して 敗北者なのでしょうか
 
ただでさえ
自分を責め続けてしまうのに
被災とはそういうものだと 片づけられるものでしょうか
震災で受けた心の傷という言葉がありますが
震災から時間が経っても
その傷が増えたり深くなったりするのです
 
「人に寄り添う心」
それは
私だったらどうだろう?という思いがなければ
有り得ないものなのではないでしょうか
 
私だったらどうするだろう?
貴方だったらどうするだろう?
この考え方は 防災減災のお話をするうえでも
とても重要なことなのです
 

私の思いを綴った記事ですが
皆様のお心に触れる何かがございましたら
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#語り部佐藤麻紀