人間 誰しも
自分より大切な人を守りたいと思うものです
 
「 置き去りの議論 」について
 
世界というものは大変に広いものですね
こんなに文明が発達した世の中でも
話し合いでは解決できず
争いや 紛争による命の奪い合いが
世界各地で起きています
 
きっと 争いのもとは
どちらが正しいのか 
正義はどちらにあるのか
 
一方の人はこう言います
私の国が正しいのだ
私達の力で 国を 家族を守るのだ
家族を守るために 戦うのだ!
 
もう一方の人はこう言います
いや 元々はこちらの方が正しいのだ
私達だって 戦って
自分の国や 家族を守るのだ!
 
その結果 悲しい争いが起き
たくさんの尊い命が危険にさらされます
この争いのどこに 
家族のための 平和や安心があるのでしょうか
 
そこに取り残されて 
右往左往しながら自分の身を嘆くのは
本来守るはずだった家族ではないのでしょうか
 
今日 なぜ私がこのお話しをしたか
 
それは今年になって 多くの未災者の方から
頻繁に こういう話を頂くからです
 
「 私はこんなに防災減災のことを訴えているのに
   行政も 学校も 地域も 誰もかれも
まるで東日本大震災を忘れたように 
これから来るかもしれない災害のことを考えていない
こんなに一生懸命取り組んでいるのに 苛立ちを覚える 」
 
そして 行政や学校 地域などに不信感を覚え
中には抗議をしに行った と言う声もあります
抗議をしても 思うような回答が得られず
さらに 怒りを募らせることもあるそうです
 
また
「 納得できる答えが得られるまで負けません 」
という意見も頂きました
 
正直 このようなお話を伺ったとき
大変に危険であると感じました
行政や学校 地域などが 皆さんの
欲しがる答えをくれないからではありません
 
防災減災をよりよく進めるための
相互の話し合いではなく
論争することの方に 力が向いていると感じたからです
 
確かに 話し合うことは必要不可欠ですが
そこに怒りの感情や苛立ちがあった場合
冷静な判断を必要とする 
防災減災の話し合いが出来るのでしょうか
かけがえのない
家族を守る話し合いができるのでしょうか
 
欲しい答えを求めるあまり
ご自分はそのつもりがなくても
守るべき家族の気持ちが
置き去りにされてはいませんか
 
論争する親の背中を見て
子どもたちは 何を感じると思いますか
 
防災減災の話し合いは 
お互いの気持ちを考えながら協力し合うことが必須です
私も人間なら 相手の人も同じ人間です
思いやる心も 聴く耳もあるのです
 
災害への怒りの感情は 全て災害に向けませんか
災害に負けないための話し合いをしませんか


被災した人間の気持ちの一端です
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