《新しき村》の危機を論ず 1 | 松尾欣治のブログ

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武者小路実篤“新しき村”が創立101年となり、慶賀のいたり…とはとても言えない苦境にある。

風前の灯火、と言ったほうがいいかもしれない。

この苦境から脱出しなければならない。時間の猶予は1年と半年、もっと早まるかもしれない。

新しき村は、創設当初から意見の対立が絶えない。それぞれが独立した個人から成っているので、意見の対立そのものはあって当然である。

ある実業家の言葉によると、

「対立しつつも調和するところに発展がある」

換言すると、

「調和しつつも対立するところに没落がある」

新しき村は対立して、調和ができない。

調和の努力が対立を深刻化させている。

なぜ、こうなってしまうのか?

新しき村には実篤の筆になる《新しき村の精神》が箇条書きで掲示されている。

ここに問題が発している。

若い人は、大上段に振りかぶったこの箇条書きを見た途端に逃げ出すだろう。中学生、高校生は、

「これは校則のようなものか?」

訝しく思うに違いない。

いずれにしても、近づくのは危なそうである。また実際に、新しき村に若者の姿はない…。