武者小路実篤“新しき村”が創立101年となり、慶賀のいたり…とはとても言えない苦境にある。
風前の灯火、と言ったほうがいいかもしれない。
この苦境から脱出しなければならない。時間の猶予は1年と半年、もっと早まるかもしれない。
新しき村は、創設当初から意見の対立が絶えない。それぞれが独立した個人から成っているので、意見の対立そのものはあって当然である。
ある実業家の言葉によると、
「対立しつつも調和するところに発展がある」
換言すると、
「調和しつつも対立するところに没落がある」
新しき村は対立して、調和ができない。
調和の努力が対立を深刻化させている。
なぜ、こうなってしまうのか?
新しき村には実篤の筆になる《新しき村の精神》が箇条書きで掲示されている。
ここに問題が発している。
若い人は、大上段に振りかぶったこの箇条書きを見た途端に逃げ出すだろう。中学生、高校生は、
「これは校則のようなものか?」
訝しく思うに違いない。
いずれにしても、近づくのは危なそうである。また実際に、新しき村に若者の姿はない…。