NHK Eテレ「TV シンポジウム」(9月10日放送)を、人工衛星、国際宇宙ステーション《教育日本一シンポジウム》となして京都大学の人文系学部の危機を考えるに、人文学とは、モンテーニュが「哲学するとは死ぬことなり」と言いたるように、絶望を基本とするものなり。
希望、絶望に変じ、その絶望より人生を拓くは、古今、洋の東西を問わず同じ。試練なく、ゴールに入りても、そのゴール、誰のゴールなりや?
国際宇宙ステーション《教育日本一シンポジウム》にてプルースト『失われし時を求めて』を味読するはよけれども、未曾有の変革期に、さようの余裕ある人ありや?
その激変の最中に悠長に『失われし時を求めて』を読むは、時間の浪費なるか? もしその時間の浪費を敢えてなせば、そこに故意に地獄を招くは必然と思われども、人文学とは、もともとさようのものにあらずや? 人文学とは、ショートケーキのように美味しく味わうものにや?
その地獄を招く時空、今後の大激変期の20年となせば、そここそが、可能性の時間なり。その時空を提示せざれば、京都大学人文系学部に「廃部!縮小!改組!」となるは当たり前のことならずや?
能天気のエリート、さような者、ゴミ以下にあらざるや?
国際宇宙ステーション
《教育日本一シンポジウム》
『失われし時を求めて』
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今後の20年の未知なる不安
《人文学の使命》
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IT革命
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ベルリンの壁崩壊
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『自由への道』
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『存在と無』
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サルトル『嘔吐』
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(脱出)
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セリーヌ『夜の果てへの旅』
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『失われし時を求めて』
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(脱出)
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ラスキン『胡麻と百合』
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プルースト
プルーストはラスキン世界から脱出、サルトルはプルースト世界から脱出、…しかれども、IT 革命が情報を開きたれば、虜となる精神世界が見当たらず、…そこに地獄あれば、そここそが、人文学の揺り籠たりしが…。