名目金利の下限はどこ? | Pull Myself up by My Bootstraps!

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タイトルは、統計学におけるBootstrap(現実のデータを基に、
現実と異なるショックが起きた場合のデータの振る舞いを分析する方法)の語源
「自分のブーツの紐を引っ張って足を上げる」→自分の置かれた環境を自分の努力で変える、という意味です。

さて、米国でも日本でも、景気回復とデフレーションの回避あるいは脱却を目指し、政策金利を事実上ゼロに据え置く政策が長く採られていますが。

ユーロ圏の欧州諸国ではどうなのかというと。

これが何と今は 政策金利がマイナス という異例の試みが行われています。

ヨーロッパ中央銀行(European Central Bank, ECB)が誘導する政策金利はあくまで同銀行にお金を預ける銀行の準備預金に付く金利のことなので、一般の預金者にただちに影響を及ぼすわけではないとは言え。

・ 中央銀行に資金を預けると、金利を取られる

という状況がどんな結果を生むのか?


商業銀行とはそもそも、一般大衆から預金を集めて、それを貸し出したり証券で運用したりして利益を上げるビジネスなので。

集めた預金を、マイナスの金利で運用すれば当然損が出る、ということで、一つの可能性として

・ 銀行が一般大衆から集める預金にもマイナスの金利が付くようになる

ということが可能性の一つとして考えられます。

4月に書かれたブルームバーグの記事では、そういう懸念が指摘されています。

【Bloomberg: Less Than Zero-When Interest Rate Go Negative】


では、当のECBがどういうことを狙いとしているかと言うと。

やはりそれは、銀行からの低利の貸出の拡大を促し、企業の資金調達を容易にして総需要を刺激することにあるようです。

【ECB: Why has the ECB introduced a negative interest rate?】


このページに、マイナス金利の趣旨がQ&A形式で書かれているのですが。

この政策が果たして機能するのかどうかに関わるものとして、最後に挙げられている

・ 銀行は、準備預金のマイナス金利を避け、現金を保有するようになるだけなのではないか

という質問がある論文を思い出させるものでしたので、ついでに紹介しておきます。


McCallum, B. T. (2000). Theoretical analysis regarding a zero lower bound on nominal interest rates. Journal of Money, Credit, and Banking, 32(4), 870-904.

もう15年前に書かれたものですが、名目金利の下限についてのごく標準的な分析枠組が提示されています。


一般均衡の枠組において、資産価格としての貨幣価値がどのように決定されるか?という観点から論じられているのですが、そこでは、

・ 財・サービスを消費するためにそれらの取引を行う際に、取引高に応じた一定の取引費用がかかる

・ 実質価値で測った貨幣残高を前もって保有しておけば、翌期の商品取引の費用を軽減することができる

という前提が置かれています。


この 取引費用を軽減する という機能が、債券等の他の金融資産には無い貨幣特有の経済機能とされているわけです。


均衡状態では、追加的な債券保有から得られる利益と、追加的な実質貨幣残高の保有から得られる利益が均等化するはずです。

・ 債券保有から得られる利益 = 名目利子率 - インフレ率

・ 実質貨幣残高の保有から得られる利益 = - インフレ率 + 取引費用の追加的な削減効果

なので、均衡状態では

・ 名目利子率 = 取引費用の追加的な削減効果

が成立します。


ここで、実質貨幣残高が多ければ多いほど、いくらでも取引費用を減少させることができるのであれば、右辺が常に正なので名目利子率も常に正の値を取りますが。

財やサービスの取引量を大きく超える量の実質貨幣残高を保有したところで、財・サービスの取引費用を削減する効果がそれほど大きいとも考えにくいと思います。

そこで、多くの分析では、

・ 実質貨幣残高の保有量が一定水準に達すると、財・サービスの取引費用軽減効果がゼロになる

という仮定が置かれます。

*キャッシュ・イン・アドバンス(Cash-in-Advance)制約の下では、典型的にはこの水準は財・サービスの取引量と一致します。

従って、実質貨幣残高がこの一定水準に到達すると、名目金利がゼロに到達し、それ以上低下しなくなります。

これが 「ゼロ金利制約」 あるいは 「名目金利の非負制約」 と呼ばれるものです。


しかし、この議論では、貨幣が取引費用を軽減する効果だけに注意が払われています

McCallum (2000)は、貨幣が取引費用を軽減する効果に加え、

・ 貨幣を保有すること自体に伴うコストを考慮した場合、後者のコストの分だけ金利がマイナスの領域に到達することがありうる

という点に言及しています。


要するに大量の紙幣を保有する場合に、盗難保険に入ったりガードマンを雇ったりする費用を考慮すると、保有コストがゼロであるとは言い切れない、その費用に見合う程度であれば、たとえ金利がマイナスであっても他の資産に投資した方がマシなケースがありうる、ということなのですが。

まったく同じことがECBのホームページにも書かれていました。


家計がマットレスの下に現金を隠す程度の場合とは違って、銀行のような巨大な金融機関になると、

・ 大量の紙幣を保管する安全な金庫を用意したりするコストを負担するぐらいなら、マイナスの金利であってもECBの準備預金口座に預けておくか

・ それがイヤなら企業に貸し出したり、他の資金運用手段に訴えるだろう

ということで、マイナス金利が狙い通りの政策効果を発揮することを期待しているようです。


果たしてその帰結はどうなるんでしょうか