司会も出し物もすべて日本語のクラスの学生さんたちが覚えたての日本語で行う素敵なイベントでしたよ

太鼓や踊りは日本語分からなくてもできますが、歌(Greeeenの『キセキ』とゆずの『栄光の架け橋』)はともかく、寸劇は自分が英語でやれと言われてもやりたくない(できない)なぁ…笑
と考えると、学生さんたちが一生懸命演じてるのが可愛らしいやら頼もしいやらでした。
Japan: The Story of A Nation/McGraw-Hill Humanities/Social Sciences/Languages

1961年から1966年まで、駐日アメリカ大使を務めた歴史学者のEdwin O. Reischauerが著書"Japan: The story of a nation"の中で、次のように述べている箇所があります。
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- Perhaps the chief reason for the lasting success of the occupation's reforms was that the American government had given careful thought to postwar Japan while the war was still in progress.
- In striking contrast to its failure to prepare for the rest of East Asia, the United States trained large numbers of military men in the Japanese language and the problems of controlling Japan, while a small group of experts at the Department of State, in cooperation with other branches of the government, gave careful thought to what might happen in postwar Japan.
- The American policy was stern but constructive. It was based on the realization that a program of revenge and retribution would breed lasting hatred and unrest and that only through enlightened reform was Japan likely to change from a disturber to a supporter of world peace. (p.226)
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戦後のアメリカ(を中心とした連合国軍)による占領政策の是非については議論あるところと思いますが、朝鮮半島など他のアジア諸国が戦後直面した混乱や困難と比較すれば、その後の日本の復興と発展に寄与した役割は否定し難いと思います。
Reischauerは占領政策の成功の理由として、アメリカ政府が戦後の日本について、戦時中から既に慎重に考察を重ねていたことを指摘しています。
特に、他の東アジア諸国に対する政策と異なり、占領政策を遂行する軍人の多くに対して、日本語や日本を統治する際に直面すると考えられる問題について、徹底した教育を行ったことを特筆しています。
また、その背後には、復讐的な占領政策は憎悪と不安を生むだけであり、正しい見識に基づいた改革によってのみ、日本を世界平和を乱す国から世界平和を支える国へと変えることができるという認識があった、と指摘しています。
今は時代背景もまったく異なりますが、いつの時代も異なる国々の間の相互理解の基礎は言語や文化に対する理解が基本だと思います。
日本語クラスで一生懸命日本語を勉強している学生さんたちは、きっと将来、日本とアメリカの相互理解をいっそう発展させることに貢献されていくのでしょう。
そういう学生さんたちの意欲を引き出しながら、毎日日本語を一生懸命教えている日本人の先生方、改めてすごいなと思いました。
…おっと、他人事ではなく、自分も英語とか、もっとしっかり勉強しなきゃな
